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東京地方裁判所 昭和31年(刑わ)3221号 判決

被告人 亀田得治 岡三郎 松浦清一 清沢俊夫

主文

被告人らはいずれも無罪。

理由

(公訴事実の要旨)

被告人らに対する本件各公訴事実の要旨は、次のとおりである。

第一被告人亀田について

同被告人は、日本社会党に所属し、昭和二八年四月大阪府より参議院議員に選出されたものであるが、

一  昭和三一年五月三一日午後二時一〇分頃参議院本会議開会の振鈴が鳴つても社会党秘書団などが議場北側の廊下を占拠し、北側入口より議場への入場を阻止していたため、参議院事務次長河野義克が開会の場合の職務執行にあたるべく、同日午後七時三五分頃議場南側東入口から入場して自席に赴こうとした際、議場内東南隅において他の社会党議員一〇数名とともに同人の前に立ち塞がり、両手で同人の革バンドをつかみ、あるいは両手を同人の腰に廻わして押えつけたうえ、入口の方に押し戻し、もつて、同人の公務の執行を妨害し

二  同年六月一日午後八時二二分頃、参議院本会議が開会され、芥川事務総長不信任案に対する質疑終局の動議を記名投票をもつて採決中、議場閉鎖のため入場できなかつたので、まもなく、他の社会党議員一〇数名とともに議場北側西入口より議場内になだれ込み、折柄事務総長席にあつて事務総長の職務を行なつていた事務次長河野義克の椅子をゆり動かし、同人の右手をつかんで椅子より引きずりおろし、西側の大臣席附近に追いやつて同人を小突き廻し、さらに、同人のネクタイを引張つて頸部を絞めつけ、もつて、同人の公務の執行を妨害し

三  同月二日午前八時三五分頃の本会議開会中、参議院議長松野鶴平が地方教育行政の組織及び運営に関する法律案及び同法律の施行に伴う関係法律の整理に関する法律案につき文教委員長の中間報告を求める動議が提出された旨発言していた際、同議長に寄添つてその身辺を警護していた参議院衛視班長長島安五郎の後部より右手でその襟首をつかんで強く引張り、もつて、同人の公務の執行を妨害したものである。

第二被告人岡について

同被告人は、日本社会党に所属し、昭和二八年四月全国区より参議院議員に選出されたものであるが、

一  昭和三一年五月三一日午後四時頃、参議院議場南側東入口附近の廊下において、自由民主党所属の参議院議員田中啓一の後方より腕を廻して同人の頸部を強く絞めつけ、もつて、暴行を加え

二  同日午後七時三五分頃、参議院事務次長河野義克が、前叙第一の一掲記の経過によつて議場に入場し、自席に赴こうとして、議場東南隅において、社会党議員一〇数名に阻止された際、同人の身辺にあつて警護の任にあたつていた参議院衛視服部団一郎の頭部を殴打し、同じく警護中の参議院衛視班長赤沼明の後方より腕を廻して頸部を強く絞めつけ、もつて、右両名の公務の執行を妨害し

三  同年六月一日午後一時二二分頃、参議院本会議が開会され参議院議長松野鶴平が地方教育行政の組織及び運営に関する法律案及び同法律の施行に伴う関係法律の整理に関する法律案につき文教委員長の中間報告を求める動議が提出された旨発言していた際、議長席東側に駆けあがり、右手に持つた書類で同議長の机を叩き、左手で同議長が所持していた書類を奪い取り、もつて、右松野議長の公務の執行を妨害したものである。

第三被告人松浦について

同被告人は、日本社会党に所属し(但し、当時)、昭和二五年六月兵庫県より参議院議員に選出されたものであるが、昭和三一年六月一日午後八時二二分頃参議院本会議が開会されたのち、前叙第一の二掲記のとおりの経過で議場に入場できなかつたので、まもなく他の社会党議員一〇数名とともに議場北側西入口より閉鎖中の議場内になだれ込み、

一  折柄事務総長席にあつて事務総長の職務を行つていた参議院事務次長河野義克に迫り、その机上にあつた書類を両手でかき廻して散乱させ、もつて、同人の公務の執行を妨害し

二  次いで、議長席東側に駆けあがり、同所にあつて参議院議長松野鶴平の身辺を警護していた参議院衛視松本圭三の左胸部を右肘で強打して同人を顛倒させ、もつて、同人の公務の執行を妨害し、その際、右暴行により、同人に対し加療約二ケ月間を要する左腰部打撲傷を負わせ

三  さらに、同所において、松野議長に寄添い、その身辺を警護していた参議院衛視長佐藤宏の後方よりその襟首をつかんで引張り、もつて、同人の公務の執行を妨害したものである。

第四被告人清沢について

同被告人は、日本社会党に所属し昭和二五年六月新潟県より参議院議員に選出されたものであるが、昭和三一年六月一日午後八時二二分頃参議院本会議が開会されたのち、前叙第一の二掲記のとおりの経過で議場に入場できなかつたので、まもなく他の社会党議員一〇数名とともに議場北側西入口より閉鎖中の議場内になだれ込み、折柄事務総長席にあつて事務総長の職務を行なつていた参議院事務次長河野義克が被告人亀田のため椅子から引きおろされ、西側大臣席附近に追いやられてくるや、その右顔面を手拳で殴打し、もつて同人の公務の執行を妨害したものである。

しかして、被告人らが、右掲記のごとく、本件当時、いずれも日本社会党に所属する参議院議員であつたことは、本件証拠上明らかである。

(弁護人の公訴棄却の主張に対する判断)

第一本件訴訟の経過

弁護人は、本件審理の開始された当初、すなわち昭和三三年一月二四日の第五回公判期日に、検察官に対して、本件公訴の取消を求め、次いで、検察官において、同年四月四日の第六回公判期日(但し、被告人亀田の関係では、同年六月九日の第七回公判期日)に、本件公訴を取消す意思の存しないことを明示するに及んで、同公判期日以降、当裁判所に公訴棄却の裁判を求める旨の申立をなすとともに、その理由として多岐多様にわたる法律上の主張を展開して、事実審理の開始に先立ち、この点に関する当裁判所の判断を求めた。そこで、当裁判所は、これに対し、昭和三六年四月二五日の第二五回公判期日において、裁判長の訴訟指揮として、弁護人の右法律上の主張に対する当裁判所の見解を示し(以下、単に訴訟指揮という場合、これを指す)、さらに、若干の事実審理を経たのち、昭和三八年一二月一八日の第四一回公判期日において、再び弁護人の要望に応えて、右同様の形式をもつて、その訴訟段階における実体形成に基づいて、当裁判所の判断を明らかにした。しかして、右訴訟指揮においては、弁護人の法律上の主張について、そのうち統治行為に関するものを除き、他はあまさず検討をつくしており(このことは、弁護人にも異存がないようである。弁護人相磯まつ江の弁論要旨(二)三六頁など参照)、かつ、当裁判所は、該訴訟指揮において示した見解を維持、踏襲すべきものと考えているので、その説示したところを、いまここに、すべて引用する(なお、右引用にかかる訴訟指揮の内容は、便宜上、別紙として末尾に添附する)従つて、以下においては、その後、当裁判所の右訴訟指揮を前提とし、これに沿つて展開された弁護人の法律上及び事実上の主張について判断を加えることにする。

第二弁護人の主張に対する判断

弁護人の主張するところは、本件各公訴事実に応じて具体的に展開され、かつ、個々的な論点について多岐にわたつているが、これを大別すると、結局次の三つである。すなわち、その一は、証拠によつて認定される被告人らの行為は、いずれも、当裁判所が先に訴訟指揮において示した憲法第五一条に規定する国会議員の免責特権の対象たる範囲に属する、というもの、その二は、証拠上公訴事実についての証明がなく、あるいは、これが実体法上犯罪の成立を阻止する場合、実体的裁判である無罪判決をすることはできず、公訴棄却の形式的裁判をすべきである、というもの、その三は、被告人らの行為は、講学上いわゆる統治行為の観念をもつて論ぜられているところに包摂さるべきであつて、その性質上、司法審査になじまないものである、というものである。

よつて、以下、右各主張について、順次判断する。

一  被告人らの行為が国会議員の免責特権の対象たる行為に該当する、との主張について

所論は、帰するところ、国会議員の職務行為に関する後記のごとき理解のうえに立つて被告人らの行為の職務との関連性、必要性を論じ、かつ、行為の態様、被侵害法益の性質、存否ないし侵害の程度など一切の具体的な状況についての多岐にわたる法律上及び事実上の主張を展開し、これらを前提として、同被告人らの行為が先に訴訟指揮において当裁判所の示した免責特権の適用範囲に関する見解、すなわち、「免責特権の対象となる行為は……議員がその職務上行なつた言論活動のほか、これに附随して一体不可分的に行なわれた行為をも含むと解するのが相当である、尤も、右の附随的行為は、国会本来の職分を遂行するための必要止むをえない行為にかぎられ、かつ、もしその行為にして刑罰法上保護されている法益侵害を伴つていても、その法益侵害の度合が軽微であつて、これをことさらにとりあげて評価しないことが社会通念上是認される程度のものでなければならない」との基準に適合し、従つて、免責特権の対象たる行為にあたるから、公訴棄却の形式的裁判をなすべきである、というにあるもののごとくである(なお、弁護人の、被告人らの行為及びその際の具体的な状況など個々的な争点についての法律上及び事実上の主張は、それぞれ当該行為の認否あるいはその法律的評価をなすについても問題となることであるから、そこで詳細審究するところに譲り、ここでは、当裁判所の右個別的な判断を前提として考察を進める)。

しかしながら、当裁判所の認定した同被告人らの各行為が、右訴訟指揮において明示した、議員がその職務上行なつた言論活動それ自体にあたるものでないことは、多言を要せずして明らかであり、問題は、これが右言論活動に一体不可分的に附随して行なわれ、それが故に、免責特権の対象として評価しうべきものであるかどうか、ということである。

ところで、当裁判所が、言論活動に附随して一体不可分的に行なわれたいわゆる附随的行為について、それが国会ないし議院本来の職分を遂行するための必要止むをえない行為であつて、かつ、これが刑罰法上保護されている法益侵害を伴つていても、その侵害の度合にして軽微であり、社会通念上これをことさらとりあげて評価しないことが是認される程度のものであるかぎり、免責特権の対象となる、と解したのは、ひつきよう、議員が議院において国政を議するというその本来の職分を遂行するに際して附随的に行なわれた些々たる行為の故に院外で責任を問われるとすれば、免責特権の本質、すなわち、司法、行政等他の権力からの干渉を排除し、国会の機能を充分に発揮させるために、議員の院内における言論活動については、外部からの責任追及を免れさせようとの、いわば政策的考慮に出でた趣旨、目的が事実上没却されるおそれなしとしない反面、右説示したごとき附随的な行為の限度においては、これによつて侵害される他の公益、私益は、反対利益考量の見地からみても、社会通念上譲歩するのが相当であり、また国民の法のもとの平等を保障する憲法第一四条の精神に背馳するとのそしりもあたらない、と考えるからにほかならない。しかるに、弁護人は、被告人らのそれぞれの行為について当裁判所が訴訟指揮として示したところを、具体的にあてはめるにあたり、元来議員の職務行為とは、国会法以下の関係諸法規に明文をもつて規定された発議権(動議の提出権を含む)、質問権、質疑権、討論権、討議権、表決権などのほか、これらに関連するすべての附随的行為に及び(弁護人坂本泰良の弁論要旨四九頁)、総括的にいえば、議員が立法活動及び国政調査活動に従事する一切の行為を指称するもので、会議の運営の交渉などは勿論、議院内における政党活動をも含む(弁護人相磯まつ江の弁論要旨(一)一頁、同芹沢孝雄の弁論要旨二四頁)とか、議員の職務の概念規定は通常の公務員のそれよりもひろく解すべき必要がある(弁護人佐伯千仭の弁論要旨八頁)とか、さらには、少数野党の議員にして審議を引き延ばし、法案の成立を阻止することは、多数与党の議員にして審議を促進し法案の成立を所期することと同様、それが議員たるの資格において行なわれたものであるかぎり、当然議員の職務行為として目すべきである(弁護人美村貞夫の弁論要旨六頁、弁護人相磯まつ江の弁護要旨(二)四六頁)とかの主張を前提としてその議論を展開し、結局、免責特権適用の有無を判断するについては議場心理なども充分考慮に入れるべきであつて(弁護人毛利与一の弁論要旨一四頁)、およそ議員が右の意味での職務を執行するに際し、もしくは職務遂行に関連して行なつた行為(弁護人相磯まつ江の弁論要旨(一)三頁、同(二)八〇頁、弁護人久保田昭夫の弁論要旨(二)五七頁など)、あるいは、職務遂行のための行為(弁護人美村貞夫の弁論要旨七、八頁など)であれば、訴訟指揮にいわゆる言論活動もしくはその附随的行為にあたるというべきである、となし、また、右の附随的行為の観念はむしろひろく解釈される必要がある、と提唱する(弁護人佐伯千仭の弁論要旨五、六頁など)もののごとくである。が、しかし、ここで先ず問題としなければならないのは、議員が言論活動それ自体によつてではなく、いわばその職務遂行上偶々何らかの法益侵害行為をあえてした場合であつても、それが全体としてみれば言論活動と一体不可分的と認められ、従つて、いわゆる附随的行為として観念しうるかどうかということであつて、この点に関しては、具体的な言論活動を前提として個別的判断をなすべきであり、弁護人が主張するように、個々的な言論活動を離れて、およそ、その主張にみられるごとき意味での職務行為の範疇に属し、あるいはこれに関連する行為であるかぎり、すべて、言論活動それ自体にあたらないとしても、少なくともそれに附随した行為として目しうる、ということではないのである(なお、附言するに、議員は勿論、議院役員、同職員、さらには政府委員などの議院における一切の活動が、窮極においては、すべて国政を議するという国会ないし議院本来の職分に向けられたものであることはいうまでもない。しかし、免責特権の適用範囲を劃するうえにおいては、それだけでは足りないのである。また、通常の場合を予想していえば、右のごとく言論活動といい、あるいは職務行為というも、免責特権との関係では、実際上殆んど差異をみないであろう。けだし、議員本来の職責にかえりみれば、言論活動以外の職務行為はあまり考えられなく、また、文書による質問、動議の提出、意思の表現としての作為、不作為なども、ひろく、ここにいう言論活動のなかに含まれること多言を要しないところだからである)。

そこで、進んで、弁護人の前掲所論の趣旨とするところにかんがみ、後記認定にかかる事実関係を基礎として、免責特権該当の有無について考察しよう(なお、本件公訴事実のうちには、証拠上その証明がない、と目されるものの存すること、後記において認定するとおりであるが、これと訴訟障碍との関係については、次項に説示するところに譲り、ここでは、弁護人の所論に応じ、当裁判所の判断を示すことにする)。

弁護人所論にかかる同被告人らの行為は、帰するところ、

(1)  被告人岡に対する公訴事実一及び二、被告人亀田に対する公訴事実一にあつては、いずれも、同被告人らにおいて、本会議開会の振鈴が鳴らされたのち、議場内もしくは議場外で本会議の開会に備えて待機しているうち、当時参議院副議長であつた寺尾豊(以下、単に、寺尾副議長と略称する)、あるいは同じく同院事務次長であつた河野義克(以下、単に、河野事務次長と略称する)の議場への入場行為を目撃して、これを不当なものと考え、それぞれ抗議、制止しようとした際のもの、

(2)  被告人岡に対する公訴事実三にあつては、同被告人の議事進行に関する発言に端を発したものとはいえ、同被告人において、本会議開会中、折柄議長席にあつて議事を主宰していた参議院議長松野鶴平(以下、単に、松野議長と略称する)の右発言についての取扱いにあきたらず、これを不当と考えて、議長席周辺に至り、同議長に対し、右取扱いについて抗議し、かつ、右発言の許可を求めようとした際のもの、

(3)  被告人亀田に対する公訴事実二、同松浦に対する公訴事実全部、同清沢に対する公訴事実にあつては、いずれも、本会議開会の振鈴後、議場閉鎖によつて同被告人らを含む大多数の社会党議員が議場外に取り残され、審議参加の機会もしくは表決権行使の機会を事実上失なう結果となり、しかも、当時の院内情勢からみて、折柄議場内で行なわれている議事ないしその後の議事経過にも痛く不信の念をかきたてられるものがあつたところから、同被告人らにおいて、他の社会党議員とともに、あえて閉鎖中の議場内に入場し、折しも議長席にあつて議事を主宰していた松野議長及び事務総長席にあつて当時参議院事務総長であつた芥川治(以下、単に、芥川事務総長と略称する)に代わり議長を補佐すべき事務総長の職務を行つていた河野事務次長に対して、これらのことについて抗議し、かつ、休憩その他の方法による議事中止を進言し、あるいは進言させようとした際のもの、

(4)  被告人亀田に対する公訴事実三にあつては、同被告人において、本会議開会中、折柄議長席にあつて議事を主宰していた松野議長の議事指揮に関し、これが先例、慣行に反するもので、当をえないもの、と考え、議長席周辺に至り、同議長に対し、これについて抗議し、かつ、その是正を求めようとした際のもの、というを出でず、それぞれ議員本来の職責に属する言論活動に関連し、または、少くとも、ひろい意味で、議員の院内における職務活動としての性質を帯びるものであることは否めないにせよ、これが言論活動それ自体に起因し、あるいは訴訟指揮にいわゆる附随したとか、これと一体不可分的に行なわれたとかいうことはできないから、弁護人の所論は、到底失当たるを免れず、既にこの点において採用しえないもの、としなければならない。

尤も、弁護人の所論は、ひつきよう、その実質において、議員の職務行為に関連して発生した犯罪行為もしくはその疑いのある行為については議員の職務と全く無関係な純然たる個人的なそれと明らかに区別さるべきことを主張し、また、これを基底としたものと解されなくもない。そして、もしそうだとすれば、所論は、そのかぎりにおいて、まことに傾聴に価しよう。なお、この点について、鑑定人佐藤功、同斉藤秀夫の各鑑定書中、これと同旨を説く部分は、甚だ説得力に富むものがある。但し、両鑑定人とも、本件の場合、問題を議院の告発にかからしめているところよりすれば、厳密な意味において、免責特権の適用はない、とせられるものであろうか。何故なら、本来、免責特権の適用があるかぎり、議院の告発は問題となりえないからである。もとより、議員の職務行為に関連して発生した犯罪行為もしくはその疑いのある行為と、議員の職務と全く無関係な純然たる個人的なそれとの間に明確な相違のあるべきは、理の当然であろう。しかし、単に、議員の職務遂行に関連しているからといつて、直ちに免責特権の対象たる行為である、ということのできないのは、前叙説示したところによつて既に明らかであり、両者の相違は、犯罪成立要件たる違法性あるいは責任性の判断において、もしくは量刑の面において顕われるべきものと解するのが相当である。

二  証拠上公訴事実についてその証明がなくあるいは実体法上犯罪の成立を阻却する場合、実体的裁判である無罪判決をすることができず、公訴棄却の形式的裁判をすべきである、との主張について

所論は、その趣旨とするところ、必ずしも明らかでないが、ひつきよう、次の二点に帰着するもののごとくである。すなわち、その一は、当裁判所の訴訟指揮が示しているごとくに、免責特権該当の有無は本来その性質上実体と関連して判断さるべきもの、との見解を前提とし、かつ、いま仮に、本件と同様案件についての裁判例である東京地判昭和三七年一月二二日言渡(判例時報二九七号所載)のように、免責特権該当の場合裁判権を欠くものと解する立場をとるにおいては、公訴事実該当の証明がないことは、とりもなおさず、免責特権にあたらないこと、換言すれば、被告人に対して裁判権を有することが認められないことを意味するにほかならず、従つて、その場合に実体的裁判をなしうべき道理はない。もし、そうでないとすると、免責特権の対象たる範囲を逸脱した行為があれば有罪、その範囲に止まれば形式的裁判、全くの無実であれば無罪、すなわち、形式的裁判は有罪と無罪との中間の場合だけ、という奇妙な論理を招来することになり、到底承認することができない。尤も、以上のことは、免責特権該当の場合には起訴状の記載自体何ら罪となるべき事実を包含していない、として形式的裁判をなすべきものと解する立場をとれば、自ずから結論を異にする。しかし、この見解のもとにおいても、無罪の事実が判明すれば、当初に立ち戻つて形式的裁判をなすべきものとする所説すら存するのである、というにあり、その二は、実体法上犯罪の成立を阻却する場合は、その行為自体仮に免責特権適用の範囲を逸脱していると目されても、違法、有責性が阻却され、犯罪が成立しないものである以上、違法、有責の犯罪行為であつても、免責特権の対象となるかぎり、検察官は公訴権の行使ができず、また裁判所も実体的裁判をなしえないことにかえりみて考えれば、なおさら、検察官において公訴権の行使ができず、また、裁判所も実体的裁判をなしえないものと解するのが当然の筋合であつて、これを要するに、議員がその職務遂行に関連してなした行為で、犯罪と目すべきでないものについては、免責特権の範囲内にあるものと解すべきである、というにあるもののごとくである。

そこで、以下、所論にかんがみ、考察を進めよう。

(一) 所論一の点について

先ず、ここで問題となつている議員の免責特権は、その対象となる行為について、国会ないし議院にその裁判権を付与したものでなく(このことは、憲法以下現行法体系全体の構造にかんがみ、明らかであろう、ことに、同法第七六条、ただ、訴訟法上、検察官において公訴権の行使ができず、これに対して公訴提起がなされたときは、裁判所においても、実体的裁判をなしえない、いわゆる訴訟障碍にあたるもの、と解すべきことは、先に訴訟指揮において説示したところであり、従つて、この訴訟障碍の不存在(その不存在が訴訟条件である)が明らかでない以上、実体的判断をなしえないことはいうまでもないところであつて、もし所論にしてこの趣旨を含むものとすれば、そのかぎりにおいて、まさに正当である。

ところで、ここにひとしく訴訟条件といつても、種々の差異があり、その存否について、公訴事実の内容に関連せず、事件の実体に立ち入ることなくして、いわば純手続的な事項の審理だけで足りる場合もあれば、一方、公訴事実の内容に関連し、事件の実体に立ち入らなければ判断できない場合もあることは、ここにあらためて指摘するの要なく、しかしていま、前項説示したごとき免責特権の特質にかんがみれば、その該当の有無は、起訴状自体によつて憲法第五一条に明定の演説、討論、表決のいずれかにあたることが明白な典型的な場合を除き、その深浅の差こそあれ、事件の実体に直接関連し、これを離れては判断しえないものというべきである。そして、訴訟条件は、公訴提起のときのみならず、裁判の言渡時までひきつづいて存続することを要するものであることはいうまでもなく、従つて、起訴状に記載された訴因によれば訴訟条件を具備するものと認められる場合であつても、審理の進行に応じて順次形成せられる実体において、訴訟条件を欠くものとみられるに至れば、直ちに、形式的裁判をもつて訴訟を打切るべきものと解するを相当とし、当裁判所は、この見地に立つて、従前審理を進めてきたわけである。すなわち、当裁判所は、それぞれ弁護人の要望したところに応えてではあるが、先ず、別紙添附のごとき訴訟指揮において、起訴状記載の訴因のみによつては、これが免責特権にあたるということはできない、との判断を明らかにするとともに、事実審理に入るに先立ち、争点整理の観点から、免責特権該当の有無の基準を当事者双方に示して、爾後の立証活動を待ち、次いで、若干の事実審理を経たのち、再び、右同様裁判長の訴訟指揮という形式をもつて、その審理段階における実体形式を基礎とする判断として、その実体にかんがみ免責特権該当を肯定することはできず、従つて、訴訟障碍が存するとはいえないことを説示し、さらに、事柄の性質上当然のことではあろうが、右両訴訟指揮においてそれぞれ附言しておいたように、爾後の事実審理の進展によつては、それにともない順次形成せられる実体に基づき、訴訟条件を欠くと認定するに至ることもありうべきこととして、審理終局までのすべての段階を通じ、免責特権該当の有無は勿論、その他一切の訴訟条件の具備について常に顧慮を怠らず、審理を進行させてきたのである。

しかして、右のような経過で、審理をつづけ、その間、遂に、被告人らの行為が免責特権の対象とならない、との審理当初からの判断を積極的に覆えすに至らず、かつ、その他一切の訴訟障碍たるべき事由の存在を発見しえなかつた以上、審理の結果、最終的判断として、所論のごとく犯罪の証明なく、すなわち、実体的には検察官主張の訴因構成事実を否定すべきもの、との心証に到達したからといつて、それがため、直ちに、この実体的訴訟関係を成立、存続させるための要件である訴訟条件が欠如するに至るものでないことは、当然の事理に属する。所論は、結局、実体的に公訴事実が認められないかぎり、訴訟条件(所論の裁判権)の具備をも肯定しえない、というに帰するようであるが、いささか飛躍に過ぎ、当をえない。

なお、所論にかんがみ附言すれば、刑事訴訟法上決定にしろ判決にしろ公訴棄却の裁判をなすべき場合は、同法第三三八条、第三三九条に明記するところであり、右各場合に該当する事由以外の事由をもつて公訴棄却の裁判をなすべきことは到底考えられなく、また、例えば同法第三三九条第二号の場合は、起訴状の記載自体から判断してその記載事実が罪とならないことが明らかであるかぎり、訴訟経済上公訴棄却の裁判をなすべきであるが、その事実が法律上犯罪を構成するかどうかについて疑があるというに止まる以上、公訴棄却の裁判をすることなく実体審理に入り、口頭弁論を経由したうえ、その事実が法律上犯罪を構成しないことが明らかになれば、最終的な実体判決によつて無罪の言渡をなすべきものと解されるのであつて、以上に指摘したことを考慮しても、弁護人の主張の採用できないことは既に明らかであるとしなければならない。

(二) 所論二の点について

しかしながら、実体法上犯罪の成立を阻却する場合であつても、その行為が議員本来の職責たる言論活動もしくはこれに一体不可分的に附随したものと認められず、従つて、元来無答責たるべき免責特権の対象となるものでない以上、これについて、訴訟法的に、訴訟追行ないし実体的裁判が許されないと解すべき理由は何もないばかりでなく、事実審理の結果、既に無罪となしうる程度に実体形成が進んだ以上、無罪の言渡によつて事件を終局せしめることはむしろ当然であつて、それがため、にわかに訴訟条件を欠くに至るものでないことは、多言を要せずして明らかである。

以上の次第であるから、弁護人の前掲所論はいずれも失当たるを免れず、採用することができない。

三  被告人らの行為は、いわゆる統治行為にあたる、との主張について

所論は、帰するところ、被告人らの行為は、当時国論を二分したと目される法案の成否について、議院内における政党間の高度の政治的駆引、攻防のうちに、しかも、議事手続の過程において、もしくはこれと密接に関連して、行なわれたもので、これを刑法的に評価するにあたつては、当然その前提として、該行為のなされるに至つた一切の経過、わけても法案審議の状況、議事手続の当否を究明し、これが価値判断をなすことを不可欠なものとするから、この法案の成否、審議状況、議事手続の当否などが講学上いわゆる統治行為なる観念をもつて論ぜられているところにあたるとすれば、被告人らの行為もこれに包摂して理解さるべき筋合であり、その性質上司法審査になじまないものである、というにあるもののごとくであり、かつ、その裏付けとして、最判昭和三五年六月八日集一四巻七号一、二〇六頁、同昭和三四年一二月一六日集一三巻一三号三、二二五頁及び同昭和三七年三月七日集一六巻三号四五〇頁などを挙げている。

しかしながら、一般的にいつて、いわゆる統治行為なる観念を承認しうるものとしても、国家統治の基本に関する高度の政治性を備えた国家行為にかぎられるべきであつて、議院の議決ないし審議行為それ自体でない議員個人の行為の刑事責任を定めるについては、それが所論のごとく議員の職務遂行に関連してなされたものであるにせよ、この観念を容れる余地はない、と解するを相当とするので、所論は、議院の自主性と自律性についての深い洞察に基づく点において、傾聴すべきものもあるが、所詮失当たるを免れず、採用することができない。

(当裁判所が証拠によつて認定した事実)

第一本件に至るまでの概要

証人藤田進の第二八回、同荒木正三郎、同岡田宗司、同芥川治の第二九回(但し、以上いずれも、被告人岡に対する関係では、当裁判所の右各証人に対する尋問調書)、同松野鶴平、同加賀山之雄の第三〇回、同石原幹市郎の第三一回、同河野義克の第三五回、同関皆一の第三六回、同徳武国広の第四三回、同田中啓一の第四六回の各公判調書中の供述部分、同湯山勇、同辻原弘市(以上、いずれも第六二回公判期日、以下回数のみ表示する。また、いずれも、被告人岡に対する関係では、右両証人の各公判調書中の供述部分)、回勝間田清一(第六七回)の当公判廷における各供述、被告人亀田、同岡、同松浦、同清沢の第三二回公判調書中の供述部分、第二四回国会参議院文教委員会会議録第一四、第一五号、第一九ないし第三四号(以上一八部、昭和三七年押第一二二号の二)、同公聴会会議録第一、第二号の写(以上二部、同押号の一〇、一一)、同国会衆議院文教委員会公聴会会議録第一、第二号の写(以上二部、同押号の八、九)、同国会参議院公報第一一六ないし第一一九号、第一二〇、第一二一、第一二三及び第一二五号の各(一)、(二)、第一二二号、第一二四号の(一)ないし(三)(以上一六部、同押号の三)、昭和三一年五月三〇日、同月三一日、同年六月一日、同月二日付の各官報号外(以上四部、同押号の四)、自第一回国会至第二二回国会参議院先例録(同押号の一七、以下、単に、先例録(一)と略称する)自第一回国会至第四〇回国会参議院先例録(同押号の一六、以下、単に、先例録(二)と略称する)を総合すると、本件は、第二四回通常国会(なお、正式の称呼は第二四回国会であるが、以下通例に従い、第二四回通常国会と呼ぶことにする)の会期末において、当時国論を二分したと目される地方教育行政の組織及び運営に関する法律案及び同法律の施行に伴う関係法律の整理に関する法律案(以下両法案をあわせ指称する場合、単に教育二法案と略称する)の審議を巡り鋭く対立した自由民主党(以下、単に、自民党と略称する)、日本社会党(以下、単に、社会党と略称する)両党間の参議院内における政治的な駆引、攻防のうちに発生した事件であつて、先ず、その概要について示すと、次に認定するごときものであつたことが認められる(なお、以下の記述においては、公知の事実もしくは法規の解釈に関する事柄であつて、前掲各証拠中にあらわれていないものを含む。)

一  第二四回通常国会の展望

第二四回通常国会は、昭和三〇年一二月二〇日に開会した常会であつて、常会の法定の会期は一五〇日間であるから、昭和三一年五月一七日(以下特に年度を表示しないときは、昭和三一年度を指す)までを一応その会期とするものであつたが、この会期は一七日間延長され、六月三日かぎり閉会となつた。なお、右六月三日は、偶々参議院議員の半数の任期が満了する日にあたつていたため、その後昭和三三年法律第六五号をもつてなされた「会期の延長は、常会にあつては一回、特別会及び臨時会にあつては二回をこえてはならない」旨の国会法第一二条の改正以前である同国会の当時においても、法理上の問題としてはともかく、少くも政治的見地からは、翌四日以降の会期の再延長は許されないという事情にあつた。ところで、同国会は、これより先、昭和三〇年一〇月一三日の社会党左右両派の統一、ついで同年一一月二二日の民主党と自由党の保守合同による自民党の結成、という経過によつて樹立されたいわゆる保守、革新二大政党対立の体制の下に迎えた二度目の国会であり、常会としては最初のものである。同国会においては、国の基本政策に関する重要法案と目され、社会の注目をひいた法案が多数上程されたが、わけても、被告人らが所属する社会党において重視した法案は、前記教育二法案のほか、憲法調査会法案、国防会議の構成等に関する法律案、公職選挙法の一部を改正する法律案(以下、単に、小選挙区法案と略称する)。健康保険法等の一部を改正する法律案、教科書法案などであつた。これらの諸法案については、政府及びその与党である自民党と野党である社会党の保守、革新二大政党間に殆んど妥協の余地がないほどの考え方の違いがあり、それぞれ党是の根本理念にも触れる問題として、法案の通過とそれの阻止に格別の政治的決意をもつて臨んだため、それらの審議を巡つて両党間に深刻な対立を招来し、衆、参両院を通じて、幾多の政治的な駆引、攻防がくりひろげられることとなつた。これに加えて、右諸法案がいずれも衆議院で先議され、しかも両党の意見が真向から対立する法案であるが故に、自然その審議も手間どり、参議院、への送附が遅れたため、その多くが再延長の許されない会期末の参議院に審議未了の状態で山積する結果となり、このことがまた、参議院内における与、野党の対立を一層厳しいものとし、その攻防のきわまるところ、後に認定するごとき混乱を生ぜしめる一因ともなつた。そして、遂に、六月二日午前三時頃、警察官五〇〇名位が、議長の内閣に対する派出要請によつて参議院内に出動し、午前八時三〇分過頃、そのうち二、三〇名が議長の指示に基づいて議場に入るというかつて前例をみない事態まで発生するに至つた。かくして、先に列挙した諸法案のうち、教育二法案、憲法調査会法案、国防会議の構成等に関する法律案はそれぞれ通過、成立したが、その余は殆んど審議未了という政府、与党にとつては不満足ともみられる結果のうちに会期を終えることとなつた。

二  会期末に至るまでの教育二法案審議の経過

本件公訴事実発生の素地となつた教育二法案の衆、参両院における審議の経過は、それがまさしく法案の通過とそれの阻止という国家意思形成の過程において、議院内部でくりひろげられた政党間の高度かつ多彩な政治的駆引、攻防と表裏一体をなすものであるが故に、いまここにその全貌をあまさず明らかにし、その当否を論ずることは、もとより当裁判所の容易になしうべきところでなく、また、そのすべてを確定することが本件事業の解明上必ずしも必要とは思われないが、当裁判所がこれまで取調べた証拠によつて明らかであり、かつ、本件公訴事実の発生した政治的背景を理解するうえにおいて当然要求さるべき限度でこれを概観すると、大略次のとおりである。

(一) 教育二法案の内容

(1)  教育二法案の提案理由は、政府の趣旨説明によると、従来の教育委員会制度は占領下早急の間に他の諸施策とともに採用、実施せられた制度であつて、再検討すべき点が多いところから、地方公共団体における教育行政と一般行政との調和をはかるとともに、教育の政治的中立と教育行政の安定を確保するため、既存の教育委員会法を廃止し、あらたに地方公共団体における教育行政の組織、運営の基本を定める、ということにあり、内容的には、(i) 教育委員会の委員(五人または三人)の選任方法につき、いわゆる直接公選制を廃止して、都道府県知事または市町村長の任命制(任命には議会の同意が必要)にする、(ii) 教育長の任命は、都道府県、五大市では文部大臣の、その他の市町村では都道府県教育委員会の承認を必要とする。(iii ) 教育委員会と都道府県知事、市町村長との間の権限に調整を加え、予算案、条例案の送付権制度を廃止するとともに、教育財産の取得及び処分の権限、収入または支出の命令の権限を都道府県知事、市町村長に移す。(iv) 市町村立小中学校の教職員の人事権は都道府県(五大市では市)教育委員会が行使する。(v)文部大臣は都道府県または市町村に対し、都道府県教育委員会は市町村に対し、必要な指導、助言または援助を行うことができるし、また一定の場合には、文部大臣は必要な措置の要求ができる、などの諸点を骨子とし、あわせて、これに関連して、多数の関係法律の調整を行おうとするものである。

(2)  これに対し、社会党としては、右二法案は、戦後の民主教育を制度的に保障していた教育行政の根本を覆えし、いわゆる直接公選制を廃止するとともに、文部大臣、都道府県知事、市町村長の権限を強化しようというもので、教育の中立性を害し、教育の中央集権化と官僚統制をもたらすおそれがあるばかりでなく、ひいては教職員組合の弱体化と保守党勢力の伸長をねらいとしたものにほかならず、教育界がこれに反撥を示しているのは勿論、新聞論評及び国民世論にも批判的なものが多い。などの判断に立脚して、右二法案の通過、成立をあくまで阻止しようとの態度で審議に臨んだ。

(二) 衆議院における審議の概況

(1)  教育二法案は、三月八日、内閣提案の法律案として、先ず衆議院に提出され、同月九日、同院文教委員会(委員長、社会党所属佐藤観次郎)に付託された。同委員会においては、爾来、週二日位づつ、合計八日間位にわたつて委員会を開き、その間四月七日、八日の両日を公聴会にあてる、という方法で審議を進めてきたが、与党の自民党側では、同委員会における審議が、総括質疑を終え、かつ、二法案をあわせ全一〇六条の条文数のうち、基本の法案たる地方教育行政の組織及び運営に関する法律案第七条までの逐条質疑を行なつた段階において、その審議が漫然遅延しているものとの見地から、四月一七日の本会議に同法案について文教委員長の中間報告を求める動議を提出するに至つた。かくして、同月二〇日の本会議において、文教委員長から右二法案についての中間報告がなされたのち、即日同法案は本会議に上程されて、社会党議員の投票のないまま、原案どおり可決され、衆議院を通過した。

(2)  ところで、この中間報告という制度は、各議院の委員会における審議の停滞に対処して、本会議がこれを監視し、議事促進をはかるため、昭和二三年法律第八七号をもつてなされた国会法改正によつて設けられたもので(同法第五六条の三、尤も、この改正前においても、衆議院規則第一二二条によつて、中間報告を求めうること及び期限を附しうることまでは認められていた。従つて、この改正は、本会議の介入をさらに強め、かつ、規定を国会法に移したことに意味をもつ、とされている)、各議院は、その委員会で審査中の法律案その他の案件について、審査が長引くとかその他特に必要がある場合に、議決をもつて、委員長に対し、当該案件についての中間報告を求め、中間報告があつたときは、そのまま委員会で審査を継続させうるのは勿論であるが、特に緊急を要すると認められる場合には、委員会の審査に期限を附し、または、直接本会議において審議することもできる、といういわゆる委員会中心主義の例外をなす制度である。

(3)  ところで、右に一瞥したような教育二法案の衆議院における審議の経過について、社会党議員のなかには、政府及び与党側の態度は、同法案のごとき重要法案につき、その審議を徹底的につくすということをせず、ただその通過、成立を急ぐのあまり、衆議院においては殆んど先例をみない中間報告後の本会議上程というごとき異例とも目すべき方法までとつて、票数の多数をたのんで強行採決をはかつた、と感じるものが多かつた。そして、かように、社会党議員の多くが、衆議院における同法案の審議に不満の念を禁じえたかつたということは、事柄の自然の成行として、それが後記の会期末における参議院内の同法案審議を巡る紛糾混乱を助長する遠因ともなつたのである。

(三) 参議院文教委員会における審議の概況

(1)  教育二法案は、前項認定の経過によつて、四月二〇日衆議院本会議において可決後、即日参議院に送付された。同院においては、直ちに同法案を文教委員会に付託し、爾来同委員会は、五月二四日まで委員会を開いて審議を重ねてきたが、翌二五日以降は同委員会を事実上開会できず。従つて、同法案の審議も行なわれない状況となつた。このように、同委員会を事実上開会できなかつたのが、どのような理由によるものかは、もとより、議院内部における政党間の高度かつ多彩な政治的駆引、攻防の結果によるものであつて、その間の事情を、いまここに、すべて明らかにすることは至難であるが、少くとも、右五月二五日頃に行なわれた同委員会の委員長及び理事打合会(通称理事会、委員長及び各会派委員のうちから選出された理事によつて構成され、委員会の運営に関し、種々事実上の折衝を行うことをもつて、その役割とする)において、自民、社会両党間に、右二法案審議の進行計画などについての意見が遂に一致しなかつたことのほか、社会党所属衆、参両院議員及びその秘書などが、多数参議院内の廊下などに佇立あるいは坐り込むなどの方法によつて、委員長の同委員会室への入室をかなり困難ならしめていたということも、その理由の一となつていたものと認められる。

(2)  ところで、右二法案の同委員会における審議は、総延時間としては七九時間余にのぼり、また、その間五月一一日、一二日の両日にわたつて公聴会が開かれ、それによつて、同月二二日までに総括質疑を終え、同月二三日、二四日の両日を逐条質疑にあてるという経過で審議を進めてきたものの、以上の審議過程を通じ、ことに同法案の内容に技術的にも種々疑問を抱いていた社会党の質疑に非常に時間を費したため、審議は必ずしもはかばかしく進捗せず、逐条的には、衆議院文教委員会におけるそれとほぼ同程度、すなわち、二法案をあわせ全一〇六条の条文数のうち、僅か基本の法案である地方教育行政の組織及び運営に関する法律案の第九条までの審議がなされたに過ぎなかつた。この点について、政府及び自民党側では、重要な事項の審議は、右七九時間余にものぼる審議の過程においてすべて逐条的にもつくされている、との見方をし、一方、社会党側では、法案の重要性を考慮すると、未だ審議が充分になされたとはいえない、との立場をとり、ここに、両党の主張は真向から対立するに至つた。

三  会期末における参議院内の教育二法案審議を巡る紛糾、混乱(本件公訴事実に関連する限度において)

本件公訴事実が発生したとせられる五月後半から六月初旬にかけての参議院内における紛糾、混乱は、それが究極には、法案の審議採決などの立法過程において、その成立を促進しようとする多数与党たる自民党とその成立を阻止しようとする少数野党たる社会党のまさしく政治目的そのものに沿つてなされた議院内部における高度かつ多彩な政治的駆引、攻防のうちに惹起せられたものであつて、いまここに、その全貌をあまさず明らかにし、その当否を論ずることは、もとより被告人らに対する各公訴事実の存否ないしその刑責の有無の判断をなすべき任務の範囲外に属すると考えられる面もあり、また、本件事案の解明上必ずしも必要とも思われないが、後に認定するごときこの紛糾、混乱の渦中にあつて発現した被告人らの行動を、正しく法的に評価するためには、本件証拠上明らかな以下の事柄は重要である。

(一) 一般的な概況

(1)  先に第一の一において「第二四回通常国会の展望」として概観したごとくに、会期末における参議院内においては、国の基本政策に関する重要法案と目され、社会の注目をひいた法案が多数山積していた反面、同国会の会期の最終日である六月三日は、同院議員の半数がその任期を満了する日にあたつていたため、法理上の問題としてはともかく、少くとも政治的な見地からは、会期の再延長が許されないという緊迫した情勢下にあつて、それがため、漸次日を追つて会期の終了が近づくにつれ、これら諸重要法案の通過、成立を所期する政府及び自民党と、これが阻止に全力をあげる社会党との間の政治的な対立は、次第に激しさを加え妥協を許さないぎりぎりのものとなつていつた。

この時点において、政府及び自民党が最も重視し、従つてまた、社会党が最も強い反撥を示したのは、小選挙区法案と教育二法案であつたが、五月三〇日頃に至り、政府及び自民党としては、会期の残余日数との関係上、これら与野党の意見が激突している法案をすべて通過、成立せしめることは不可能と判断し、また小選挙区法案については自民党内部にも異論の存したところから、教育二法案に重点をおいて、同法案のみはなんとしても通過、成立せしめたい、との態度をとり、かつ、文教委員会における前記のような審議状況などから、同委員会における審議終了、採決をまち、その結果を本会議に報告させるという通常の議事進行によつては、会期内に右二法案を通過、成立せしめることは、到底望むべくもない、との焦慮に駆られ、衆議院におけると同様、委員長に対して中間報告を求め、直ちに本会議で審議し、表決に付するという方法をとつて、その通過、成立を強行しようと意図するに至つた。

しかし、この中間報告の制度、ことに委員長の中間報告後議案を委員会に戻してその審査に委ねることをせず、直ちに本会議で審議するという方法は、委員会における議事のいたずらな停滞を一挙に解消して、議案の成立促進をはかるという看過しえない利点がある反面、国会における充分な審議を時間のきわめて限定された本会議の形式的な審議に置換え、国会の審議機能を制約する方向にも作用するという危惧を内包していることも否定しえず、それが故に、この方法をとる場合、与、野党の対立は、通常、いよいよ厳しいものとなることが当然予想されるものと考えられており、本件公訴事実がその渦中にあつて発生したとされる会期末における参議院内の紛糾、混乱は、政府及び自民党がこの中間報告の制度の活用を意図した当時において、既にある程度予測されたところであり、また、現にこれが大きな誘因となつて惹起せられたもの、との見方も、充分成り立ちうるのである。

(2)  かようにして、自民、社会両党の教育二法案を巡る政治的駆引、攻防は、法案の通過とそれの阻止に終始する、ただ賛成か反対かといういわば結論だけの争いとなつたかのごとき観すら呈するに至り、爾後の本会議における議事進行は、根源的にはこの中間報告を求める動議の提出時期を巡つてのむしろ技術的とも目される議事手続上の応酬を重ねることとなり、また、その反面、ことに後記の四者会談がなされるまでの数日間、主として社会党所属議員(参議院議員のみならず、衆議院議員もこれに加わり、当時越境戦術などと呼ばれたようである)及びその秘書などにおいて、議場周辺の廊下などに佇立あるいは坐り込むなどの挙に出でてこれを占拠し、議事を主宰すべき議長または議長の職務を代行すべき副議長、議長を補佐すべき事務総長または事務総長の職務を代行すべく予め指定を受けた参事である事務次長などにおいて、議場に入場するのを事実上困難ならしめ、本会議の開議を遅延させるという憂慮すべき事態も生じ、種々の紛糾、混乱を惹起せしめるに至つた。

(二) 会期末における本会議開会の状況

(1)  議長は、総括的にいつて、議院の秩序を保持し、議事を整理し、議院の事務を監督し、議院を代表するものであつて(国会法第一九条)、その権限は広汎かつ強大であり、議事運営に関しても、議事日程決定権(国会法第五五条)、議案付託権、同付議権(同法第五六条)、休憩、散会権(同法第一一七条)、会期協議権(参議院規則第二二条、衆議院規則もほぼ同様である、以下同じ)、会期延長協議権(同規則第二三条)、開議時刻決定権(同規則第八一条)、散会権、延会権(同規則第八二条)、議事日程の順序の変更及び他の案件の追加発議権(同規則第八八条)、発言者指名権(同規則第九四条)、発言許可権(同規則第九六条)その他枚挙にいとまがないほどの権限を具有するが、議長がこれらの権限を実行するについては、従来、議院運営委員会(以下、単に、議運委と略称する)、同委員会の委員長及び理事打合会(通称理事会)、あるいは議院運営小委員(以下この三者をあわせ指称する場合、単に議運委など、と略称する)といつたような議長の補佐機関あるいは諮問機関となるべきものに諮るのが通常の運営となつている。

なお、この通常の場合における議事運営の慣行を明らかにするため、議運委などの国会運営上の機能について一瞥を加えると、次のとおりである。すなわち、議運委は、国会法第四一条に定める常任委員会の一であつて、参議院の場合、その所管事項は、(i) 議院の運営に関する事項、(ii) 国会法その他議院の法規に関する事項、(iii ) 国立国会図書館の運営に関する事項、(iv) 裁判官弾劾裁判所及び裁判官訴追委員会に関する事項(参議院規則第七四条第一五号)となつているが、その主たる機能は、衆議院におけるそれと同様、右(i) の議院の運営に関する事項として、議院内における議事運営を円滑ならしめるため、各会派の意見を調整することにあり、それが故に、同委員会は、議院内部において特殊な地位を占めるに至つている。また、同委員会は、他の常任委員会と同じく、委員長及び各会派委員のうちから選出された理事によつて構成され、同委員会自体の運営を円滑にするため、各会派間において事実上の折衝をする場である委員長及び理事打合会を中心として運営されるが、同打合会において各会派討議してえられた結論については、後の委員会でも当然異議なく了承されるところから、右打合会は、それ自体が議院の運営上重要な役割を果すものとなつている。そして、議院運営小委員は、議運委が同委員会委員のなかから選任するもので、本会議における議事の順序、質疑討論などの発言者の数及び発言時間、採決の方法、国務大臣及び政府委員の出席要求その他議長において必要と認める事項についての議長の諮問機関であり、議長は小委員の意見が一致しないときには拘束されないとはいえ、以上の事柄については、小委員と予め協議するのを例としていた(昭和三三年法律第六五号による改正前の国会法第五五条の二、先例録(一)一四八、一四九例参照、なお、右の改正によつて、議事協議会が議院運営小委員会にかわつて議長の諮問機関となつた)。

(2)  しかるに、先に概観したごとき自民、社会両党の対立の下に迎えた会期末における参議院では、一応五月二九日までは右慣行どおり議運委などでの両党間の意見調整や議長との協議を経て議事運営が進められてきたが、同日、偶々農林大臣河野一郎が本会議場で日ソ漁業交渉の経過報告をすべく予定されていたところ、予定時刻に登院せず、そのため本会議の開会が遅れた、という問題が生じ、同日の議運委において、この問題の取扱いなどを巡つて、自民、社会両党間の意見調整が難渋したことや、同夜遅く開会された本会議において、社会党の側から、議運委などでの協議に供されなかつた延会の動議が突如として提出されたことなどに直接の端を発して、翌三〇日以降は議運委などでの意見調整ないし協議のないまま議事運営が進められることとなつた。これは、前記のように、政府及び自民党側が、教育二法案について、委員長の中間報告を求め、直ちに本会議において審議、表決するという国会法第五六条の三に規定する方法をとつて、同法案の本会議通過を強行しようと意図するに至つた時期と一致し、結局、根源的には、同法案の成否を巡る与、野党間の政治的駆引、攻防に起因したものと目される。しかし、このようにして、議運委などでのいわばお膳立てなくして開かれる本会議においては、とかく円滑な議事の進行は期待できず、爾来、右二法案について、委員長の中間報告を求める動議の提出とそれの阻止を含みとして、自民、社会両党間の攻防は、いよいよ激化の度を加えたもののようである。

(3)  そして、その議運委などでのいわばお膳立てなくして議事の運営が進められるということは、議場における自民、社会両党間の動議提出、発言などの議事進行に関する応酬を、相互に殆んど予測しえないものとするばかりでなく、ことに野党である社会党議員にとつては、何時本会議が開議されるか予知しえない場合もありうることを意味するのであつて、被告人亀田に対する公訴事実二、同松浦に対する公訴事実全部、同清沢に対する公訴事実が発生したとされる六月一日午後八時二二分頃の本会議場内における混乱は、このことを有力な一誘因として惹起せられたものであること、後記第二の四の(一)で考察するとおりである。

(三) 五月三〇日以降六月二日までの本会議における議事の経過

(1)  五月三〇日

同日付官報号外の記載するところに従い、同日の議事の経過を概観すると、次のとおりである。

午後二時二分開議

(i) 直ちに休憩することの動議、否決、(ii) 河野農林大臣の戒告決議案につき、委員会の審査を省略し、日程に追加して直ちに審議することの動議、可決、(iii ) 同日の議事における発言時間は、趣旨説明については一〇分、質疑、討論その他の発言については一人五分に制限することの動議、可決、(iv) 右戒告決議案につき、討論終局の動議、可決、(v)右戒告決議案につき、本案の採決、否決

午後六時四五分休憩

午後九時四一分開議

(i) 直ちに休憩することの動議、否決、(ii) 副議長不信任決議案提出、仮議長の選挙、(iii ) 右不信任決議案につき、委員会の審査を省略し、日程に追加して直ちに審議することの動議、可決、(iv) 右決議案につき本案の採決、否決

午後一一時四九分散会

(2)  五月三一日

(イ) 同日付官報号外が、同日の議事の経過として記載するところは、次のとおりである。

午後一一時四九分議長着席

議長………(発言する者多く、議場騒然、聴取不能)

議長………明日午前零時一〇分より開会いたします(拍手、議場騒然)

午後一一時五〇分議長退席

(ロ) 同日、本会議開会の振鈴は、右開議時刻に先立ち、既に、午後二時一〇分頃鳴らされていた。しかるに、同日の本会議は、右のように、午後一一時四九分に至つてようやく開議され、直ちに散会となつたのである。これがどのような理由によるものかは、もとより、議院内部における政党間の高度かつ多彩な政治的駆引、攻防の結果にほかならないこと、いうまでもなく、従つて、その間の事情を、いまここにすべて明らかにすることは至難であるが、少くとも、先にも概観したように、社会党側において、政府及び自民党の方では、教育二法案の会期内における通過、成立を期するため、文教委員長の中間報告を求める動議を提出するであろうことを予測し、議運委などの開かれなくなつた当時の院内情勢にかんがみ、同党代表議員が、議長室に赴いて、爾後の議事運営、ことに同法案の取扱いに関して折衝を重ねるほか、同党参議院議員にして前記振鈴後も議場に入らなかつた一部のもの、同党衆議院議員、及び同党衆、参両院議員秘書など多数のものが、議長もしくは副議長、事務総長もしくは事務次長など議事を主宰し、またはこれを補佐すべき任にある者の議場への入場を妨げ、あるいは当然妨げることが予想されるような状況で、議場周辺、ことに、議長室、副議長室及び事務総長室に面した議場北側廊下などに佇立もしくは坐り込むなどの挙に出で、一方、自民党議員の一部及び同党秘書においても、これに対抗して、議場周辺、ことに右北側廊下などにつめかけ、さらには、報道関係者あるいは傍聴人などもそれに加わつたため、議場周辺、ことに右北側廊下は、騒然とした様相を呈し、混雑をきわめ、本会議を開議することが事実上困難であつた、ということも、その理由の一つとなつたものと認められる。

(ハ) ところで、同日午後四時頃、寺尾副議長が、議事を主宰する議長の職務を代行するため、前項認定のごとき議場周辺の廊下などの状況にかんがみ、自民党所属議員及びその秘書などの助勢をえて、南側東入口から議場へ入場しようとした際、これを阻止せんとした社会党所属議員及びその秘書などとの間に、押し合いあるいは揉み合うという混乱が発生した。その詳細は、後記のとおりであるが、被告人岡に対する公訴事実一は、この混乱の渦中にあつて惹起された、というものである。

また、その後、午後七時三〇分頃に至り、河野事務次長が、議長を補佐すべき事務総長の職務を代行するため、右と同じく、議場周辺の廊下などの状況にかんがみ、衛視及び自民党所属の議員秘書などの助勢をえて議場内へ入場し、ついで、衛視に押し進められるようにして事務総長席へ行こうとした際、折柄議場内で開議を待つていた社会党議員との間に、押し合いあるいは揉み合うという混乱が発生した。その詳細は後記のとおりであるが、被告人亀田に対する公訴事実一、同岡に対する公訴事実二は、この混乱の渦中にあつて惹起された、というものである。

(3)  六月一日

(イ) 同日付官報号外の記載するところに従い、同日の議事の経過を概観すると、

次のとおりである。

午前零時一一分開議

格別の議事は行なわれないまま、午前零時二六分休憩

午前一〇時一七分開議

(i) 直ちに休憩することの動議、否決、(ii) すべての案件に先立つて余剰農産物資金融資特別会計法の一部を改正する法律案を審議することの動議、否決、

午前一〇時五九分休憩

午後一時二二分開議

(i) 被告人岡の議事進行に関する発言、(ii) 直ちに休憩することの動議、否決、(iii ) 事務総長の不信任決議案提出、同決議案につき、委員会の審査を省略し、日程に追加して直ちに審議することの動議、可決、(iv) 同日の議事における発言時間は、委員長報告及び趣旨説明については二〇分、質疑、討論その他の発言については一人一〇分に制限することの動議、可決、(v) 右不信任決議案につき発議者参議院議員江田三郎の趣旨説明とこれに対する質疑中、右江田議員に対し、発言時間の制限を超過したとして、議長において同議員の降壇命令を発し、ついで、議長の指示に基づき、衛視により右降壇命令の執行がなされた。

午後六時四四分休憩

午後八時二二分開議

右不信任決議案につき、質疑終局の動議を採決中、午後八時四八分休憩

午後一一時七分開議

右質疑終局の動議につき、あらためて採決、可決

午後一一時五〇分散会

(ロ) 同日の本会議は、前日と打つて変り、一旦午前零時一一分に開議され、午前零時二六分休憩となつたのち、午前一〇時一七分から再開されて、種々の議事が行なわれたが、これは、前日にみられた本会議の開議自体がきわめて困難というがごとき院内の混乱を回避し、国会審議の正常化をはかるため、午前七時頃から午前八時三〇分頃までの間、議長公邸において、松野議長、自民党参議院幹事長平井太郎、社会党顧問松本治一郎、同党参議院議員会長岡田宗司、以上四者によつて、国会運営の正常化を目標として、いわゆる四者会談なるものが開かれ、教育二法案の審議については、自民、社会両党とも、議場内でフエアーに攻防をつくそうとの趣旨の申合せがなされたことによるものである。なお、右申合せの意味するところについては、自民、社会両党の理解に若干の食い違いも存したようであるが、少くとも、本会議の開議自体が困難というがごとき事態を収拾することを、その前提とするものであつたと認められる。

(ハ) ところで、同日午後一時二二分からの本会議開議直後に、被告人岡がなした議事進行に関する発言の取扱いを巡つて、社会党議員が議長席に詰め寄り、抗議するという混乱が発生した。その詳細は後記のとおりであるが、同被告人に対する公訴事実三は、この混乱の渦中にあつて、惹起されたというものである。

また、その後、午後八時二二分からの本会議開議直後、休憩前に提出された事務総長不信任決議案についての質疑終局の動議を記名投票をもつて採決するため、いわゆる議場閉鎖(参議院規則第一四〇条により、記名投票を行うときは議場の入口を閉鎖すべきもの、とされている。尤も、選挙及び内閣総理大臣の指名の投票などに際しては、議場を閉鎖しないのが先例となつている、先例録(一)三〇、五七例参照)がなされたが、その動議採決中において、社会党議員が議場閉鎖を無視して議場内に入場し、松野議長及び河野事務次長に対し、右議場閉鎖の方法について激しく抗議するという混乱が発生した。その詳細は後記のとおりであるが、被告人亀田に対する公訴事実二、同松浦に対する公訴事実全部、同清沢に対する公訴事実は、この混乱の渦中にあつて惹起された、というものである。

(4)  六月二日

(イ) 同日付官報号外の記載するところに従い、同日の議事の経過を概観すると、次のとおりである。

午前零時三三分開議

(i) 前日の本会議議事進行に関する寺尾副議長の釈明、(ii)同日の議事における発言時間は、委員長報告及び趣旨説明については二〇分、質疑、討論その他の発言については一人一〇分に制限することの動議、可決(iii ) 直ちに休憩することの動議、可決

午前一時五九分休憩

午前三時四五分開議

直ちに休憩し、一三時に再開されんことの動議、否決、

午前四時七分休憩

午前四時四七分開議

(i) 前日提出の事務総長不信任決議案につき、討論後、討論終局の動議、可決、(ii)右不信任案につき、本案の採決、否決(iii )直ちに休憩することの動議、否決(iv)当時議長に代わつて議事を主宰していた寺尾副議長の不信任決議案が提出され、芥川事務総長が議長席について仮議長の選挙を無記名投票をもつて執行中、松野議長が出席して議長席につき、仮議長の選挙をとりやめ、かつ、右不信任決議案は一事不再議にあたるので上程しない旨宣告、(v)教育二法案につき、文教委員長の中間報告を求める動議、可決、なお、この際、社会党議員は棄権した、(vi)文教委員長の解任決議案につき、委員会の審査を省略し、日程に追加して直ちに審議することの動議、可決、

午前九時五分休憩

午前一〇時五三分開議

(i) 右解任決議案につき、質疑終局の動議、可決、(ii)同決議案につき、討論終局の動議、可決、(iii )同決議案につき、本案の採決、否決、(iv)直ちに休憩することの動議、否決、

午後二時三分休憩

午後四時三二分開議

(i) 教育二法案につき、文教委員長の中間報告、(ii)同中間報告に対する質疑終局の動議、可決、(iii )右二法案を議事日程に追加し、直ちに審議することの動議、可決、(iv)直ちに休憩することの動議、否決、(v)右二法案につき、質疑終局の動議、可決、(vi)同法案につき、討論後、本案の採決、可決、

午後九時四六分散会

(ロ) 同日午前三時頃、議長の内閣に対する要請によつて、警察官五〇〇名位が参議院内に出動し、次に述べる混乱が発生した直後、そのうち二、三〇名が、議長の指示に基づいて議場内に入り、その警備につくというかつて前例をみない事態が生じた。かようにして、教育二法案は、自民、社会両党の激しい政治的駆引、攻防と幾多の紛糾、混乱のうちに、遂に、無修正で本会議を通過、成立するに至つたのである。

(ハ) ところで、これより先、右午前四時四七分開議の本会議における議事経過(iv)及び(v)のように、芥川事務総長が議長席について副議長不信任決議案審議についての仮議長選挙の投票執行中、それまで事故のため本会議に欠席していた松野議長が出席し、芥川事務総長に代わつて議長席についたうえ、仮議長の選挙をとりやめ、かつ、右不信任決議案は一事不再議にあたるので上程しない旨宣し、これにひきつづいて、教育二法案につき、文教委員長の中間報告を求める動議の提出があつた旨告げていた際、議長の右副議長不信任決議案を一事不再議にあたるとした措置を不適法あるいは当をえないものと考え、また、後記のごとく、議長がその際提出された慣例上先議案件となつている議長不信任決議案を無視したと信じ、これらに不満を持つた社会党議員が議長席周辺に詰め寄り、抗議するという混乱が発生した。その詳細は後記のとおりであるが、被告人亀田に対する公訴事実三は、この混乱の渦中にあつて惹起された、というものである。

第二本件公訴事実に対する当裁判所の認定

一  被告人岡に対する公訴事実一について

(一) 混乱発生に至るまでの経緯とその概況

証人河野義克の第三五回、同佐藤吉弘の第四三回、同田中啓一の第四六回、同関皆一の第三六回及び第五五回、同楢崎富男の第六四回、の各公判調書中の供述部分同清水徳松の当公判廷における供述(第六六回)、田中啓一の検察官に対する昭和三一年九月二五日付(以下、供述調書作成年月日を表示するにあたり、いずれも昭和三一年度作成のものであるので、単に、月、日のみをもつて表示する)供述調書第四項、関皆一の検察官に対する七月一〇日付供述調書第三項(但し、日時を特定する限度において証拠とする)、被告人岡の第三二回公判調書中の供述部分及び当公判廷における供述(第六八回)、検察官作成の検証調書を総合すると、右公訴事実に関連する混乱発生に至るまでの経緯とその概況は、次のごときものであつたことが認められる。

既に、第一の三の(三)の(2) において概観したごとくに、五月三一日は、午後二時一〇分頃本会議開会を知らせる振鈴が鳴らされ、かつ、これに応じて、議場内で議事運営に関する事務を行うべく予め参事としての指定を受けた事務局職員(参議院事務局分課規程第三三条)は勿論、自民、社会両党、緑風会など諸会派議員の相当数においても、それぞれ議場に入場し、開議を待つた。しかし、一方当時の混乱、紛糾を重ねていた参議院内においてしばしば散見されたように、自民、社会両党議員にして、右振鈴後も議場に入らず、それぞれの控室で待機するものも多く、また、社会党議員のなかには、議場周辺の廊下などに佇立または坐り込むなどしてこれを占拠している秘書などに加わつて、これと行動をともにするものがあり、他方、自民党議員のなかでも、同党秘書とともに、社会党議員及び秘書に対抗するため、右廊下などに詰掛けていたものがあつた。そのため、議場周辺の廊下、ことに、議長室、副議長室、事務総長室に面した議場北側廊下は、かような自民、社会両党議員及びその秘書、さらには報道関係者あるいは傍聴人などによつて埋められ、騒然とした様相を呈し、混雑をきわめていた。

かくして、前記振鈴後、各会派議員の相当数及び事務局職員において議場に入場しながら、議事を主宰すべき松野議長、同議長に何らかの事故あるとき議長の職務を代行すべき寺尾副議長、あるいは、本会議における議事運営に関して議長を補佐すべき芥川事務総長など、会議を構成するうえに不可欠な者において、議場に入場しようとすれば、廊下などを占拠している社会党議員及び秘書などによつて、これが妨げられるであろうことが当然予想される状況にあり、しかも、これに加えて、右松野議長は、自民党側において教育二法案について文教委員長の中間報告を求め、直ちに本会議で採決に付するとの挙に出でるであろうことを予測し、議事運営に関する折衝のため議長室を訪れた社会党代表議員との間で、種々応接に追われ、自ずから時を費さざるをえなかつたため、これら会議の構成上不可欠な者の議場入場をみるに至らず、従つて、はかばかしく本会議開会を迎えないままに、推移していた。しかしながら、その間、自民党の一部においては、いたずらに本会議開会を遷延せしめるのは、残り会期との関係よりしても当をえないとの考えから、議長室周辺で松野議長が入場するかのごとき気勢を示して、廊下などを占拠している社会党議員及び秘書などの注意をその方にそらし、その間に寺尾副議長を議場内に入場させて、強行開会を可能ならしめようとの方策を案出し、自民党秘書会などにもこれが協力を要請するに至り、午後四時頃、これを実行に移した。

すなわち、その頃、先ず議長室前附近の廊下において、自民党秘書などが喊声を挙げ、それと同時に、当時の自民党控室である第八控室から同党所属木島虎蔵、田中啓一などの議員一〇名位及び同党秘書二〇名位が右寺尾副議長を擁して議場南側廊下に勢いよく飛び出し、附近に居合わせた若干の衛視をも加えて、同副議長の周囲に人垣を作るような体制をとり、そのままの勢いで、同控室と一〇米位の距離で近接した議場南側東入口にまで走り、同入口より同副議長を議場内に入場させようとした。しかるに、右議場南側廊下などで佇立または坐り込むなどしていた社会党議員及び秘書において、直ちに同副議長らの前面に駆け寄り、その議場への入場を阻止しようとしたため、ここに、右南側東入口附近の廊下において、自民、社会両党議員及び秘書などが、真向から衝突し、両者互いに押し合い揉み合うという混乱が生じた。

ところで、この混乱は、それが議場外におけるものであるうえ、双方とも年齢的に若い秘書が多かつたということもあつて、かなり激しいものがあつたばかりでなく、これら秘書同士は、同副議長及びその際混乱の渦中に入つた自民、社会両党議員において議場に入場したのちも、なお若干の間小競合を続けたが、やがて、自ずから収束されるに至つた。

(二) 同被告人の具体的な行為

前項冒頭掲記の各証拠、ことに、被告人岡の第三二回公判調書中の供述部分及び当公判廷における供述(第六八回)に、同被告人作成名義の「証明願」と題する書面(参議院事務総長宮坂完孝の証明部分を含む)、押収してある第二四回国会参議院社会労働委員会会議録第四四号写(昭和三七年押第一二二号の一四)をあわせると、同被告人は、同日午後四時頃、同被告人が前々日の五月二九日に委員長に就任した社会労働委員会において審議予定の母子福祉資金の貸付等に関する法律の一部を改正する法律案(同法案は六月三日同委員会において審議可決した)の取扱いについて、自民党側の理事もしくは委員と打合わせの必要があつたため、自民党控室である第七、第八控室の方に赴こうとして、議場南側東入口附近の廊下に至つた際、前項認定の経過によつて、右第八控室から寺尾副議長が自民党議員及び秘書に擁されて同廊下に飛び出してきたのと遭遇したが、この状況を目撃して、当時教育二法案の審議を巡つて、与、野党が厳しく対立し、議運委などの開かれていない現状において、何ら交渉によつて局面打開をはかろうとせず、現に議長室で松野議長と社会党代表議員との間で議事運営に関し折衝が行なわれていることをも無視して、いたずらに強行開会をはかつたもので、社会党議員としての立場上、到底黙視しえないものがある、と考え、突嗟に、同副議長の議場入場を制止しようとして、前項認定のごとき混乱の渦中に入つたことが明らかである。そこで、以下、その際の同被告人の行為にして、公訴事実掲記のごときことがあつたかどうかについて、考察を加える。

当公判廷に顕出された全証拠のうち、公訴事実該当の事実を示唆すべき積極的な証拠は、証人関皆一の第五五回公判調書中の供述部分(なお、同人の検察官に対する七月一六日付供述調書第三項は、右供述部分と実質的には全く同一趣旨のものであり、単に日時を特定する限度において証拠としたものであるので、これを検討の対象としない)をおいてほかになく、また、同供述部分を一見裏付けるごときものとしては、田中啓一の検察官に対する九月二五日付供述調書第四項(なお、同人の第四六回公判調書中の供述部分は、記憶の損なわれたと目される部分が多く、不正確であり、一方、その供述している限度においては、同供述調書と結局同一趣旨に帰するので、これをさらに検討の対象とする必要は乏しい)が存するのみである。

そこで、先ず考察を進める便宜上、右各供述内容を一括して掲記すると、次のとおりである。すなわち、関の右供述部分は、これを要約すると、「寺尾副議長が議場南側東入口から議場に入場しようとした際、議場外南側廊下の同入口附近で、自民、社会両党の議員及び秘書が真正面から衝突し、多数のものが廊下一杯になつて激しく押し合つたが、私も自民党秘書として、これに加わり、同副議長を守つて入場させようとした。それは、自民党幹部から、秘書連中に対して、協力の要請があつたからである。私は、右混乱のなかで、自民党側の最先頭に位置していたが、私のすぐ後ろに、自民党議員の田中啓一がいた。″(問)そういうふうななかに、田中という自民党の議員がいたことは、御記憶ありますか (答)田中啓一先生は、非常に印象に残つております、というのは、そのとき、社会党の議員(他の部分においては、秘書、とも述べている)が田中先生の足を蹴つたらしいんです、それで田中先生が怒つて腕をとつたんです、すると、岡先生が田中先生をはがいじめにして、首を絞めたんです、それで、私が、私がみておるんだから放しなさい、告訴しますぞという言葉を使いました″同被告人は、右田中の後方から手をまわして首を絞めたのであるが、そのとき、田中は、後向きの姿勢になつていた、と思う。これは、私の目前で行なわれたことである。″(問)どうして告発とか告訴ということをその場でいつたんですか (答)といいますのは、私が秘書になりましてから毎国会そういつたケースがあるわけです、それで、新聞紙上でも、国会の乱闘については相当の批判があつたわけです、そういう点で私は世間の人間と同じように、最高の場所である国会で、こういうことが度々くりかえされることに相当な憤激を持つていたわけです″同被告人は、私が告発するとか告訴するとかいうと、すぐ田中の首を絞めるのをやめた。なお、以上の出来事は、寺尾副議長が議場に入つたのちのことだと思う。また、右混乱によつて、私自身も負傷したが、誰にやられたかわからなかつた、混乱の際には、痛いのも感じなかつたが、控室に帰つて、初めて痛いのに気付き、医務室に行つた」というものであり、また、田中の右供述調書第四項は、これを要約すると、「私は議場外南側廊下の混乱のなかで、誰かはわからないが、後ろから首の辺に手をかけられて絞めあげられたり、組みつかれたりした。勿論、靴で蹴られたこともある。あとで自民党秘書などに聞いてみると、その際、私は、社会党議員及び秘書に揉まれて非常に危険な状態にあつたということだつたが、別に怪我はなかつた。しかし、洋服に泥がついていたし、身体の方々が痛んだ。″私の首に手をかけたのが誰であつたかは、当時は判りませんでした。岡三郎は、確かにそのときその辺におりましたので、もし岡が私の首を絞めているのをみたものがあるというならば、多分岡から絞められたものだと思います″」というものである。

ところで田中の右供述調書によれば、同人が議場外南側廊下における前項認定のごとき混乱のなかで、社会党議員及び秘書からかなりの乱暴を受け、その間靴で蹴られ、また、後方から首の辺を絞められたり、組みつかれたりしたこともあることを認めることができる(同供述調書の信ぴよう力を否定すべき理由は何もない)。しかしながら、前掲各証拠によると、右混乱に際しては、双方とも足で蹴る、相手の体をとらえて排除しようとするなど、さまざまな行為に及んでいることを窺うことができるから、同被告人が、居合わせたからといつて、直ちに、その一事をもつて、右行為に及んだのが同被告人であると即断しえないことはいうまでもなく、結局、同被告人が、その際、右行為に出でたか否かを確かめるのは、専ら、関の前掲供述部分の吟味にかかつているといわなければならない。しかるところ、検察官は関の右供述部分を目して、充分信用できるものである旨主張する。なるほど、同供述部分はこれをそれ自体としてみるかぎり、まことに明瞭であり、一見、真実を間然するところなく物語つているものであるかのようである。しかるに、一方、同被告人は、終始一貫して、右行為に出でたことを否認し、「この件については、検察官の取調を受けた際にも、一言も弁解を徴されたことなく、従つて、これが突然起訴されたことは、何が何だかさつぱりわからない」(第六八回)とまでいい切つている。しかも、その供述態度たるや、まことに卒直で、真情にあふれ、その弁解するごとく、事の意外に驚いている感すら窺えなくはないのであつて、にわかに、これを排斥しえないものがある。そこで、進んで、関の右供述部分を、他の証拠、ことに田中の前掲供述調書と対比して、その信ぴよう力をつぶさに検討してみよう。以下、分説する。

(1)  先ず、関の供述するところに従えば、同人は、同被告人の首を絞めるという行為を目撃し、同被告人に対して、「告発(もしくは告訴)しますぞ」とまでいつて、これを制止したというのである。しかしながら、前項認定のように、その際の混乱は、議場外のことでもあり、また年齢的に若い秘書が多かつたということもあつて、かなり激しいものがあり、双方とも足で蹴るあるいは相手の体に手をかけて排除しようとするなど、さまざまな行為に出ているものであるところ、かような混乱のなかにあつて、同被告人の、同人において供述するごとき行為が他の乱暴な行為と対比して、特に、「告発(もしくは告訴)しますぞ」との、異例とも目すべき言辞を用いてまで制止せねばならぬほど目立つていたとは思われない。

(2)  次に、もし同人の供述するごとく、同被告人が田中の首を絞め、関から「告発(もしくは告訴)しますぞ」といわれてその行為をやめたものとすれば、当然、当の被害者である田中も、同被告人がかように自己の首を絞めた相手であることに気付き、かつ、関の言葉を聞いた筈なのに、前掲供述調書を細部にわたり検討しても、田中がこれを見聞したことを窺わせるような形跡は何もない。これは、まことに不思議なことといわなければならない。しかも、関の用いた言辞は、かような場合にあつて、むしろ異例とも目すべきもので、もし田中がこれを耳にしたとすれば、当然記憶に止めた筈であり、また、捜査官においても、田中に供述を求める際、かかる重要な点についてないがしろにしたとは到底考えられないことに思いを至せば、なおさらである。また、田中は、前掲したように、「首を絞められた際、同被告人が身辺にいたので、もし目撃者があれば、多分同被告人が私の首を絞めたものと思う」旨述べている。かように、同被告人が身辺にいたことを認識しえたものである以上、同被告人においてその際首を絞めるという挙に出でたならば、それに気付かぬ道理はないであろう。しかるに、なお、気付いていないのである。そして、本件証拠上同人がかように気付かなかつたことについて何らかの納得しうべき説明を与えるような資料は全く見出せない。だとすれば、同人の供述を前提として合理的に推論するかぎり、同人が首を絞められるという被害に逢つた際、同被告人及び関は同人の認識しうる範囲内の身辺にいたものの、首を絞めるとか、あるいは「告発(もしくは告訴)しますぞ」との言葉を発するとかの、田中の注意を惹く行為は何もしなかつた、ということにならざるをえない。なお、附言するに、右に掲記した供述部分のうち、後段の「もし目撃者があれば、多分同被告人が私の首を絞めたものと思う」なる旨の部分が、それ自体、関の捜査当時における、前掲供述部分と同旨の供述を基礎とするもので、供述者たる田中の判断ないし推測ですらないことは、叙上の説示に照らし、多言を要せずして明らかであろう(関及び田中の前掲各供述調書の作成日時の先後は、これを裏付けるに足るものである)。尤も、右に検討したところは、仮に田中において、何らかの事情で同被告人をかばい立てしているものとすれば、勿論、その帰結を自ら異にすることではある。しかしながら、同人の前掲供述調書第四項全体を通じ、そのようなふしは全く窺われないばかりでなく、かえつて、同人が、右供述調書中後記四の(一)ないし(四)で考察する六月一日午後八時頃の議場内における混乱の状況を述べた第六項においては、被告人亀田、同松浦、同清沢のほか、数名の社会党議員の名を挙げて、そのそれぞれの行為につき、また、前掲公判調書の供述部分中、同じく後記二の(一)ないし(三)で考察する河野事務次長が南側東入口から議場に入場した際の混乱の状況を述べた部分においては、被告人亀田の行為につき、いずれも何人にもはばかることなく、その認識しえたところを認識した限度においてありのまま供述していると目されることに徴すれば、被告人岡に対してのみ、あえてかばい立てをしたとみることは到底できなく、結局、先に検討したところを覆えすべき理由は何も見出せない。

(3)  さらに、飜えつて、前項において認定したごとき混乱全般の状況にかんがみれば、関が、その供述するごとく、同被告人の行為一切を一部始終目撃し、しかも前記言辞による発言をして、同被告人を制止したということ自体、不自然の感を免れない。けだし、右混乱は、かなり激しいものがあつて、これに加わつた各人とも、自己のことであれば格別、他を顧みる余裕はなかつたのではないかと思われるからである。しかも、これに加えて、同人は、その供述するところによれば、自民党議員及び秘書の最先頭に立ち、田中の前にいた、というのである。勿論、同人が、混乱のいわば傍観者でなかつたことは明らかであり、その混乱の度合も、先頭であるが故に、なおさら激しいものがあつたとみなければならない。そうだとすれば、はたして、右のような混乱の渦中にあつて、自己の背後で生じた出来事の一部始終について、その供述するごとき明確かつ完全な認識をえられるものであろうか。なお、一抹の疑惑をさしはさむべき余地なしとしない。

以上、検討してきたところによれば、関の前掲供述部分は、これを、それ自体としてみるときは、一見明瞭なごとくであるが、他の証拠、ことに田中の前掲供述調書第四項と対比すると、なお幾つかの合理的疑惑の介在することが否めず、本件全証拠によるも、右疑問を解消することができないので、同供述部分が、それ自体一見明瞭でありながら、甚だ抑揚に乏しく、平板な供述に終始していることと相まつて、未だ当裁判所の心証を惹き、もつて、同被告人の前記弁解を排するに足らない。すなわち、これを要するに、同被告人になお疑わしいふしの存することは、これを否定しえないが、結局、公訴事実該当の事実は、これを確かめるに足る証拠がなく、犯罪の証明が十分でないというべきであるから、爾余の点についてさらに判断するまでもなく、無罪の言渡をなすべきものである。

二  被告人亀田に対する公訴事実一、同岡に対する公訴事実二について

(一) 混乱発生に至るまでの経緯とその概況

証人河野義克の第三五回、同広元正之、同砂塚由蔵、同佐藤吉弘の第四三回、同佐藤宏の第四四回、同赤沼明の第四六回、同伴侃爾、同服部団一郎の第五八回、の各公判調書中の供述部分、同河野義克(第六〇回)、同湯山勇(第六二回、但し、被告人岡に対する関係では、同証人の公判調書中の供述部分)、同大和与一(第六三回、但し、被告人岡に対する関係では、右湯山の場合と同じ)の当公判廷における各供述、伴侃爾の検察官に対する六月二日付供述調書第三項、佐藤宏の検察官に対する六月一三目付供述調書第四項、被告人亀田、同岡の第三二回公判調書中の供述部分、検察官作成の検証調書、押収してある読売国際ニユース第三七六号特報フイルム三五ミリ缶入り一箇(昭和三七年押第一二二号の七)中のカツトナンバー54ないし57(以下、単に読売ニユース54ないし57カツトというように略称する)、同ニユースフイルムから検察事務官がその三五を拡大焼付した写真三五葉分(以下、単に、読売写真Aと略称する)中のナンバー2ないし7(ナンバーの表示は、同写真の証拠調請求に際し付せられていたものに従う、以下他の拡大焼付した写真の場合も同様とする)、を総合すると、右各公訴事実に関連する混乱発生に至るまでの経緯とその概況は、次のごときものであつたことが認められる(なお、右各証拠のうち、特に重要視すべきものは、読売ニユース54ないし57カツトであつて、同各カツトは、その性質上、混乱の主要な経過を正確に写しとつたものと目され、これによつて混乱全般の状況が明瞭に看取されるのである。従つて、当裁判所は、同各カツトの検討にあたつては、これを通常の方法で映写するばかりでなく、いわゆる編集機などを用いて、緩速あるいは一齣ごとに映写し、さらには、被写人物の動きを確かめるため、逆転映写するなど、さまざまな方法で、仔細に観察した、これは、右読売ニユース中の他の公訴事実に関連するカツトのほか、後記日本放送協会フイルム一六ミリの各カツトについても同様である)。

五月三一日午後二時一〇分頃本会議開会の振鈴が鳴らされたのち、午後四時頃に至り、寺尾副議長が自民党議員及び秘書に擁されて、南側東入口から議場に入場するに至るまでの経過は、前記一の(一)において認定したとおりである。しかしながら、同副議長は、右入場後も、自己の議席についたのみで、格別議長席について議事を主宰しようとはしなかつたので、同副議長の右入場によつても事態は変わらず、依然、本会議は開議に至らないまま推移していた。

ところで、これより先、河野事務次長は、右振鈴の直後頃に、事務次長としての職務を行うため議場に入り、所定の席に着席して、本会議の開議を待つていたが同副議長の右入場後、未だ入場をみない議長あるいは事務総長の様子を確かめ、かつ、遷延している開議についての打ち合わせを行うべく、一旦議場を出て、事務総長室を訪れた。ところが、事務総長室に入ると、同室前の廊下などには、議長あるいは事務総長の議場入場を事実上阻止せんとする社会党議員及び秘書、これに対抗して詰め掛けた自民党議員及び秘書、さらには報道関係者、傍聴人など、多数の者が充満し、再び議場に戻ることがきわめて困難と思われるに至つたため、止むなく、暫時、事務総長室内に止まらざるをえなくなつた。しかし、その後、同次長は既に寺尾副議長が、その議席にあるに過ぎないとはいえ、一応議場に入つており、場合によつては議長に代わつて議事を主宰することも不可能でない事情にあるところから、もしこのまま事態が推移するにおいては、議長を補佐すべき事務総長もしくはその職務を代行すべき事務次長が議場に入場していないため、いたずらに開議が遅延したとの事務当局としては堪えがたい批難を甘受せざるをえないであろうと判断し、せめて事務次長である自己において、いま一度議場に入場すべく及ぶかぎりの努力を試みるべきものとの決意を固めるに至り、午後七時頃、議事部に電話して、当時議場内にいた委員部第一課長兼議事部参事佐藤吉弘を呼び出し、同人に右決意を伝えるとともに、警務部にも電話して、適宜の措置を講ずるよう連絡をとつた。

かようにして、午後七時三〇分頃に至り、同次長は、事務総長室に隣接した議運委委員長室から勢いよく飛び出し、その場に居合わせた衛視の警護をえて、通常慣行的に事務局職員の出入りしていた北側東及び西入口を避け、議場東側廊下を小走りに通り抜けて、南側東入口に迂回し、同入口から走り込むようにして、議場に入場しようとした。ところで、この際、同次長に随伴、警護した衛視は、予め議長あるいは事務総長などの議場入場に伴い混乱が発生した場合にそれを整理する目的で議場北側廊下附近に居合わせたもの(衛視副長砂塚由蔵、衛視班長小林某その他)、同次長が右委員長室から飛び出したことによつて生じた同委員長室前附近における主として自民、社会両党秘書間の揉み合いの物音を聞き、急遽その場に駆けつけてきたもの(衛視副長広元正之、同山崎某、その他)、あるいは、同次長の議場入場を警護するよう上司の命を受けて、右議場北側廊下に赴いたもの(臨時衛視服部団一郎その他)などで、いずれも、同次長から、格別明示的な指示こそ受けなかつたが、議場周辺の廊下などの前叙認定のごとき状況にかんがみ、当然同次長を警護すべき職責を担い、もとより、同次長においても、その随伴、警護を容認していたものと目される。しかし、これら衛視のなかには、同次長を囲んで一団の人が南側東入口に小走りに向うのをみて、これを追つたというに過ぎないものが多く、実際に同次長を右入口まで導くについて主導的な活躍をしたのは、前記一の(一)認定の寺尾副議長入場の場合におけると同様、社会党秘書などに対抗するため、議場北側廊下などに詰め掛け、同次長が議運委委員長室から飛び出してきたのをみて、直ちにこれに従い、同次長の警護を買つて出た自民党秘書などであつた。しかるに、この自民党秘書などのなかには、僅かにランニングシヤツを着用したのみの、およそ品位を重んずべき議院内とも思われぬ乱雑な服装の者もおり、しかも、同次長を囲んで廊下を一団となつて小走りに走り抜ける際、「ワツシヨイ、ワツシヨイ」と掛声をかけ、また、右入口にまで達するや、「万歳」「渡したぞ」などの喊声を挙げるなど、傍若無人な振舞にも及んだので、同次長の右入場は、それが通常事務局職員らの入場する出入口でないところからの入場であることと相まつて、当時議場内において開議を待つていた自民、社会両党その他各会派議員の目には、その頃の種々紛糾混乱をくりかえしていた参議院内にあつても、なお異常なものと映ぜざるをえなかつた。そのため、同次長が右入口から走り込むようにして議場内に入場するや、これを目撃した被告人亀田、同岡、大和与一、湯山勇、千葉信らの社会党所属議員は勿論のこと、佐藤清一郎、剱木享弘、伊能繁次郎、鹿島守之助らの自民党所属議員も、そのあるものは同入口が同党議員の議席に近いため漫然と、またあるものは同次長の右入場を助けて本会議の強行開会を可能ならしめようとの意図から、それぞれ同次長目掛けて寄り集つてきたが、その際、同次長は、入場直後で、議場内南側東入口附近にいて、前方の事務総長席のある壇上に進もうとしていたところであつたので、これらの議員は、自ずから同次長の前に立ち塞がり、あるいは、同次長を取り囲むような状態となつた。なお、検察官は、この際、社会党所属議員のみが同次長の前に立ち塞がつたかのごとき主張をしているが、その後の混乱全般の状況を端的に把握しうる資料である読売ニユース54ないし57カツトを、証人服部団一郎の前掲供述部分及び同大和与一の前掲供述のうち、同各カツトからの拡大焼付写真である読売写真Aナンバー2ないし7によつてその被写人物を特定した部分と対照して、仔細に観察すると、この混乱の渦中にあつて、同次長の前進しようとする方向には、社会党所属議員のほか自民党所属議員数名もいることが明瞭に看取され、結局、叙上認定のごとく、同次長の入場後、自民、社会両党議員の寄り集つてきた際の位置関係から、これらの議員が、自ずから同次長の前に立ち塞がり、あるいは同次長を取り囲むような状態となつたものとみるのが最も自然であり、次に述べるように、社会党議員の多くが同次長の前進を阻止しようとの行為に出でたにせよ、必ずしも同党議員のみが同次長の前面にいたとは認められない。

ところで、かようにして、同次長を目掛けて寄り集つてきた社会党議員の多くは同次長がさらに前進しようとするのを阻もうとしたが、これは、次のような理由によるものである。すなわち、これら社会党議員においては、同次長が事務総長席に着席することを阻止することによつて、本会議の開会、従つてまた、当時自民、社会両党間の厳しい対立の焦点となつていた教育二法案についての文教委員長の中間報告の時期を、遅延させ、ひいては、同法案の成立を阻もうとの意図を有していたものの存するであろうことは、想像にかたくないが、一方、それにもまして、議運委などの開かれなくなつた当時の緊迫した情勢下において、自民、社会両党間の実際上の交渉による局面打開の試みも一応行なわれているのに、これを無視して、元来一党派に偏すべからざる事務次長が、その意志に沿つたものであるかどうかにかかわりなく、自民党秘書などの助勢をえて、しかも異常としか映じない方法で議場に入場し、開議を強行しようとするのは、むしろ院内の紛糾、混乱をますます助長せしめるもので、社会党議員としての立場上、到底黙視しえないものがあると感じ、かつ、同次長が所期のごとく事務総長席につき、本会議が開議されるに至れば、その入場の不当、異常なことも既成事実として事実上無視されるかもしれないことを危惧し、同次長を一応制止して、抗議ないし説明をしようとの気持から、同次長においてさらに前進しようとするのを阻止せんとしたものであり、帰するところ、議院の正常な運営を期そうとの目的に出でたものであつたことも肯認できるのである。

しかるに、他方、同次長がかようにして入場してきたのをみた議場内警衛の衛視(いわゆる議場内衛視)は、直ちに、同次長のいる南側東入口附近に駆け寄り、同次長を警護してともに走り込んできた衛視(なお、自民党秘書などは同入口附近で踏み止まつた)に加わつて、それぞれ、上司である衛視長伴侃爾、同佐々木某、衛視長の資格をも具えた警務部警務課長補佐佐藤宏などの指揮によつて、同次長を事務総長席につけるため、同次長の背中を押すなどして、同次長の前に立ち塞がり、あるいは、同次長を取り囲むような状況で寄り集つてきた自民、社会両党議員のなかを遮二無二突破し、同次長を前方に押し進めようとしたので、ここに、同次長を制止し、抗議ないし説得をしようとした社会党議員との間に軋轢を生じ、同次長を中心として、自民、社会両党議員、衛視が一団となつて押し合いあるいは揉み合うという混乱が発生するに至つた。

なお、この混乱は、やがて、同次長において混乱の真只中にあつて飜弄された結果、次第に気分が悪くなり、顔色が青くなつたということもあつて、自ずから収束されたが、その時間的経過については、当時右混乱の渦中にあつたと目される前掲各証人の供述するところがまことに区々であつて、にわかに確定しがたいものがある。すなわち、この点について、証人河野義克は一五分位あるいは一〇分ないし一五分位、同赤沼明は一〇分以上、同広元正之は三分位、同佐藤吉弘は五、六分位長くても一〇分位、同佐藤宏は五分か一〇分位、とそれぞれ述べ、帰一するものがない、これは、右各証人らが、いずれも混乱の渦中にあつて、その時間的経過を確実に認識しうるほどの余裕がなかつたであろうことを思えば、むしろ当然というべきであるが、元来かような望ましくない体験についての時間的認識は、通常、実際のそれよりも長く感じ勝ちであることにかんがみれば(混乱の中心となつた証人河野が最も長い時間と感じているのは、まさしくその証左であろう)、一〇分を超えるような長い時間であつたと認められることは到底できなく、たかだか五、六分を出でない程度の時間で収束されたとみるのが、最も自然であろう。

(二) 被告人亀田の具体的な行為

前項冒頭掲記の各証拠、ことに、証人広元正之、同砂塚由蔵の第四三回、同佐藤宏の第四四回、の各公判調書中の供述部分、同河野義克の当公判廷における供述(第六〇回)、伴侃爾の検察官に対する六月二〇日付供述調書第三項、被告人亀田の第三二回公判調書中の供述部分及び当公判廷における供述(第六八回)、読売ニユース54ないし57カツト、同写真Aナンバー2ないし7を総合すると、次の事実が認められる。

同被告人は、当日、本会議開会の振鈴後、議場内の議席にあつて、開議を待つていたが、同次長が南側東入口から入場してくる直前、偶々、同被告人が委員長をしていた法務委員会において審議中のいわゆる五番町事件なる犯人誤認事件について打ち合わせを行う必要があり、緑風会所属の議員宮城たまよの議席に赴いたところ、同議員が議席に不在であつたため、最寄りの出入口である南側東入口から議場外に出ようとして、右入口に通ずる通路を歩いているうち、同次長が衛視とともに走り込むようにして入場してくるのに遭遇した。しかるに、同次長の入場は、前項認定のごとく、それが元来事務局職員の常用しない出入口からの入場であるうえ、その際随伴してきた自民党秘書などの乱雑な服装やその傍若無人な振舞から異常と映ずるものであり、しかも、右秘書などは一応右入口附近で踏み止まつたものの、当時議場内にあつて警衛にあたつていた衛視が、この様子をみて、直ちに同次長のところに駆け寄り、同次長を警護して走り込んできた衛視に協力して、同次長を、有無をいわせず、事務総長席のある壇上に押し進めようとする形勢にあることが容易に看取されたので、同被告人は、議場内にいた他の社会党議員と同様、かような同次長の入場を黙視し、これを放置することは、元来議院運営についても一端の責任を負うべき議員として、到底許されないことであるばかりでなく、教育二法案の審議を巡つて自民、社会両党が厳しく対立している当時の情勢下にあつて、しかも、右両党間の実際上の交渉による局面打開の試みも一応行なわれているのにかような入場をあえてしてまで本会議開会を強行しようとするのは、事務局側としては行き過ぎであり、不当でもあると感じ、同次長を一応制止して、抗議ないし説得をしようとの気持から、同次長の前に立ち塞がつた。ところが、同次長らは、一団となつて突進してきて、直接同被告人の身体にぶつかつたので、同被告人は、自己の態勢をととのえ、かつは、右突進を阻止しようとして、突嗟の間に、同次長のバンドを両手でつかんだ。従つて、当時議場内にあつた社会党議員のうち、同次長の入場後、同次長と最初に接触したのは、同被告人である。しかし、間もなく、他の自民、社会両党議員が多数その場に寄り集つてくるに及んで、前項認定のごとき押し合いあるいは揉み合いが生じ、同被告人は、同次長とともに、この押し合いあるいは揉み合いの真只中におかれることとなつたが、同被告人において、右のごとく、同次長のバンドをつかんでいたということもあつて、この両者は終始対面した位置を保持し、ときには、同被告人が同次長の腰に抱きつきあるいは抱え込むといつたような態勢となることもあつた。

そこで、さらに、この間の状況全般を知るために、前掲読売ニユース54ないし57カツトを仔細に観察してみると、同被告人は、この押し合いあるいは揉み合いの経過を通じて、常に同次長と対面した位置にあるが、その姿勢は不変でなく、両者の体が密着し、また若干離れ、さらには多少左右にずれる、といつたようなことを絶えずくりかえし、しかも両者が一体となつて前後左右にかなり大きく移動するという動きを示しており、結局、多数の人が集団となつての押し合いあるいは揉み合いの渦中で、この両者がともに激しくもみくちやにされたという状況であつたことが窺われる。

ところで、同被告人は、この際同被告人のとつた行為につき、「最初は同次長を制止するためにバンドを持つた。しかし、そのうち沢山の人が集つてきて、今度は私自身が逆にみんなから揉まれるようになり、姿勢がどうしても低くなつて、バンドから手を放すと、私自身が危ないというような感じとなつた。また同次長も、私がバンドをつかんでいることが支えになるような状況だつた」との趣旨の弁解をしている(第六八回)。そして同次長もまた、「渦にまきこまれたときは、初めは総長席に行こうと思つていたのだが、途中でこれはいかんと思い、あとの数分はここで倒れては、ということで、そのことがずつと頭にあつた。そういうことでは、同被告人がバンドを押えていたことは、倒れない助けになるかもしれない」旨の供述をしているのである(第六四回)。この弁解ないし供述は、前掲読売ニユースによつて観察されるところと、良く符号し、むしろ事態の実質をいいあらわしたものとも思われるのであつて、あながち排斥することはできない。

しからば、同被告人が終始同次長と対面した位置を保持し、腰のバンドをにぎり、また、ときとして、同次長の腰に抱きつきあるいは抱え込むような態勢となつたことは、同被告人自身が同次長とともに混乱に飜弄されたがためにほかならず、必ずしも、同次長が前進して事務総長席につくのを阻止せんがためのものでなかつた、との見方も充分成り立ち、むしろそうみるのが自然なのである。

以上、これを要するに、同被告人の具体的な行為として本件証拠上確実に認定しうるところは、同被告人は、同次長の入場を異常、不当なものとして受取り、抗議をするため同次長を一応制止すべく、同次長の前に立ち塞がつたところ、同次長らが一団となつて突進してきて直接身体にぶつつかつたので、自己の態勢をととのえ、かつは右突進を阻止しようとして、突嗟の間に同次長の腰のバンドをつかむという行為に出でたが、それによつて事実上同次長の行動の自由を束縛したのは、他の自民、社会両党議負か寄り集つて、集団となつて押し合いあるいは揉み合いが生じるまでの間であり、さして長い時間ではなかつた、ということである。

そこで、叙上認定にかかる同被告人の行為が犯罪となるかどうかについては、後記において考察することとする。

(三) 被告人岡の具体的な行為

前記二の(一)冒頭掲記の各証拠によれば、被告人岡は、同次長が、同項認定の経過によつて、南側入口から議場に入場した際、議席にあつて、開議を待つていたが、同次長の右入場を目撃し、それが同認定のごとく異常、不当と映ずるものであつたところから、他の社会党議員と同様、同次長の附近に駆け寄り、同次長に右入場の方法などについて抗議するとともに、同次長がさらに前進するのを制止しようとして、同入口附近における押し合いあるいは揉み合いの渦中に入つていつたことが認められる。そこで、以下、その際の同被告人の行為にして、同被告人に対する公訴事実二のごときことがあつたかどうかについて、考察を加える。

(1)  同被告人が衛視服部団一郎に対し暴行を加えてその公務の執行を妨害したとの点について

当公判廷に顕われた全証拠のうち、右の点に関する積極的な証拠と目すべきものは、本件において被害者とされている証人服部団一郎の第五八回公判調書中の供述部分のみであつて、同被告人に右の行為があつたか否かは、専ら同供述部分の吟味によつて明らかとされることになる。

そこで、先ず、考察を進める便宜上、右供述部分の内容を掲記すると次のとおりである。すなわちこれを要約すると、「私は、上司の命によつて議運委の委員長室前から河野次長に随伴し、南側東入口から議場に入場したが、社会党の議員らが集つてきて同次長の前に立ち塞がり、同次長を押し戻そうとするので、私は同次長の腰の辺を支えたりした。しかし、そのうち間違えて、同次長と違う人を押してしまつた、そして、広元衛視副長から同次長はこちらだと教えられ、そちらの方に行こうとしたとき、手拳で頭を殴られた、″(問)岡議員から南側東入口から河野次長と入つたときにも何かされたんですか (答)私頭をやられたのは岡先生からだと思いますと、地検ではいつたと思いますけれども岡先生がやつたとはいつておりません、で、そのときは静かにしろと岡先生だつたかおつしやつて一たん静まりましたが、体は痛かつたし、まだあと何かせられるんじやないかと思つて自分でも手を出すなとどなつたと思います、たしか阿具根先生と向い合つていたと思いますが″″(問)先程岡さんだと思うといつたけれどもなぜ岡さんだと思つたの (答)岡さんはいつもこういうふうに手を出していましたから″″(問)それから、あなたは議場のなかで議員に対して何か口をきいたことがありますか、その混乱のとき (答)あります (問)どういうふうに (答)手を出すなといいました、たしか阿具根先生にだつたと思いますが (問)手を出すなというのはどういう場合にいつたんですか (答)私頭をごつんとやられましたので非常に腹がたつてしやくにさわつておりましたし、岡先生が、ひとまず静かにしろということで一旦静かになりましたけれども、またなんとなく騒ぎがおこりそうな場面が見受けられたので、思わず手を出すなということを申し上げたわけです″なお同被告人については、以前に自分が岡だということを知つているのか、といつて首に手をかけて飛ばされたことがあり、顔と名前を知つているし、また非常に憤慨もしていた、この殴られたのは、ごつんとうたれた程度で、それほどひどく殴られたわけではない」というものである。

一方、これに対し、同被告人は、「混乱のなかだから、衛視その他の人の肩や体に触れたことはあるかもしれないが、衛視の首を絞めたり、殴つたりした覚えはない」旨の弁解をしている(第六八回)。

ところで、右服部は、その供述するところに従えば、同被告人の顔と名前は知悉していたのであるから、もし同被告人が殴打するという挙に出たのを確実に認識したものとすれば、そのように述べる筈である。しかるにそれをしない。これは何故であろうか。検察官は、同人の検察官に対する供述調書には「殴つたのは同被告人である」旨の断定的な記載があり、先に刑事訴訟法第三二一条第一項第二号書面として同供述調書の証拠調の請求をなしたところ、当裁判所が、「前の供述と実質的に異ならない」との理由でこれを却下したことをとらえて、公判廷における右供述部分にも断定的な趣旨の右供述調書と同等の証拠価値を認めるべきである旨主張する。しかしながら、元来「殴つた」といい、あるいは「殴つたと思う」といつても、それは殴つたことを認識したというかぎりにおいては、結局は表現の相違にも帰せられるものであつて、問題は、かように認識した根拠であり、それが確実なものかどうかということである。単に推測した程度に過ぎないことを「殴つた」と表現してみても、それ自体大して意味のあることではない。しかるに、前掲述供部分によつて自ずから明らかなごとく、右服部が殴られたのは同人において一旦見失なつた同次長のそばに行こうとして、社会党所属の議員阿具根登と対面する形になつたときであり、従つて、同被告人はその横または、後方あるいは右阿具根議員の体越しに殴つたということにならざるをえない。しかも、同人の供述するところによれば「ごつん」と一回殴られただけで、そうひどく殴られたわけではない、というのである。本件のように、多数の人が押し合いあるいは揉み合うという混乱のなかにあつて、かつ、当の河野次長を他人と誤認して押していたような同人が横または後方あるいは他人の体越しに、一回「ごつん」と殴られたのが誰からであるか、はたして確実に認識しうるものであろうか。まして、もし同人が同被告人から殴られたものとすれば、殴つた当の相手ではない右阿具根議員に「手を出すな」と怒鳴つたというのも、まことに不自然である。同人が、かねて同被告人に対して、心良からぬ感情を抱いていたことは、前掲述供部分に徴し明らかであるが、それならば、なおさら殴つたことについて同被告人に文句をいうのが当然の成行であろう。してみると、前掲述供部分中「同被告人から殴られたものと思う」との部分は必ずしも、充分信を措くに足らないものというほかなく、これは、仮に同人の検察官に対する供述調書が、検察官主張のごとく、断定的な表現になつているとしても同断である。

そこで、飜えつて、前掲読売ニユース54ないし57カツトを検討してみる。何故なら、右各カツトは、前記のように、この混乱について、その全部でないにせよ主要な経過を正確に写しとつたものであり、従つて、もし同被告人が右服部を殴打したとすれば、同各カツトに、少くもその際の前後の状況が顕われている蓋然性が強い、とみなければならないからである。しかるに、右各カツトを、前掲供述部分のうち、右各カツト中の拡大焼付写真である同写真ナンバー2ないし7によつて、その被写人物を特定した部分と対照し、仔細に観察してみても、同被告人と右服部が暫時の間、かなり接近した位置にあつたことが認められるのみで、その際同被告人が同人を殴打したとか、あるいは手をのばしてでも殴打しうる程度の位置関係にまで接触したとかの状況は全く窺われないのである。

従つて、これらのことを、かれこれ考え合わせると、右供述部分の全体を通じ同人が殴られた際、同被告人が同人の身辺におり、かつ、同人に静かにしろというようなことをいつたことは看取され、したがつて、その機会に同被告人が同人を殴つたが、これが右読売ニユース撮影の前、もしくは後であつたため、同フイルムに写しとられるに至らなかつたのではないか、と疑うべきふしの存することは、これを否定しえないが、一方、以上考察したところに照らし、同被告人が殴つたとするには、なお解消しえない合理的な疑問が介在し、被告人の前記弁解もあながち無視しえないものがある、といわなければならない。これを要すると、同被告人が、右服部に対し、暴行を加えてその公務の執行を妨害したとの点については、これを確めるに足る証拠がなく、結局犯罪の証明なきに帰するので、爾余の点を判断するまでもなく、無罪の言渡をなすべきものである。

(3)  同被告人が衛視赤沼明に対し暴行を加えてその公務の執行を妨害した、との点について

当公判廷に顕われた全証拠のうち、右の点に関する積極的な証拠と目すべきものは、本件において被害者とされている証人赤沼明の第四六回公判調書中の供述部分のみであり(尤も、検察官は、論告において、証人佐藤宏の第四四回公判調書中の供述部分も、右赤沼の供述部分に沿うものである旨主張するが、右佐藤は、「同被告人は一寸離れていてどうゆう動作をしたかわからない。ただ押し合いのなかにいたという感じである」旨述べているに過ぎない)、一方、これに対し、同被告人の弁解するところは、前項の服部団一郎に対するそれと全く同一のもの、すなわち、「混乱のなかだから衛視その他の人の肩や体に触れたことはあるかもしれないが、衛視の首を絞めたり、殴つたりした覚えはない」(第六八回)というにある。

そこで、先ず、考察を進める便宜上、右赤沼の供述部分の内容を掲記すると、次のとおりである。すなわち、これを要約すると、「河野次長入場の際、私は何時ものように南側東入口から一寸入つたところで勤務していた、ところが社会党議員が集つてきて、同次長に組みつくなどしたので、同次長は進めなくなつた、そこで伴衛視長に命ぜられて、組みついている人を離そうとして揉み合つているうち、首を絞められたような感じを受け、呼吸困難になつたことがある。″(問)具体的にいうとどういうふうにやられたのでしようか (答)揉み合つておつたのですから、別に、まあその瞬間的のことでしようけれども、すうつと私の首に腕がかかつちやつて、それで、私は首をまげるようにして、また片方は引ぱるようにするので自然と首が絞められたような恰好になつたわけです″そこで、首を絞めるのはやめて下さい、というと、放してくれた、この放した腕に沿つてうしろを向くと、同被告人がいたので、同被告人が絞めたものとわかつた″(問)証人としては、岡さんが証人の首を絞めると感じたのか、それとも証人がつかんでいる人から証人を離そうとしたのか、どう思いましたか (答)私としては、岡先生が私の首を絞めようとしてこんなことをしたものとは思いません、と申しますのは揉み合つている関係で、体が移動します。私としては、次長さんに組みついている人を離そうと下の方に向きますし、先生の方は、私をまた離そうとするので、体が移動する。その瞬間に首が絞まつたのではないかと、私はこう思います。それで、首が絞つたので、私も苦しくなつて、首を絞めるのはやめて下さいとは申しあげていますが、先生が意識的に私の首を絞めたとは申しあげているのではありません″″(問)すると岡議員の一つの手が証人の首のところにかかつたということで、両手で絞めるような形になつたというのではないのですか (答)そうです″」というものである。

従つて、右供述部分にして、そのすべてが信用しうるものとしても、同供述部分によつて確実に認定しうる事実は、右赤沼が、同次長の入場後発生した混乱の渦中において、上司である衛視長伴侃爾の指示により、その供述するごとき内容の職務行為、すなわち、帰するところ同次長の身辺警護の任にあたつていた際、瞬間的に、同被告人の腕が首附近にかかつて、絞められるような状態となつたことがあり、そのため、同人は一瞬呼吸困難に陥つた、ということに過ぎなくこの同被告人の行為が、はたして、同人に対し、首を絞めるなどの暴行を加えようとの意思によつてなされたものか、それとも、多数の議員及び衛視が押し合いあるいは揉み合うという混乱のなかで偶発した事柄に過ぎないものなのかについては、なお疑問を容れる余地なしとしない。

しかるに、一方、前掲読売ニユース54ないし57カツトによつて、同被告人の右混乱の際における行為全般の状況について観察すると、同被告人は、右各カツトにおいて、絶えず移動しながら、あるときは、手を上方や前方に延ばす態勢となつて、こずき、またあるときは、衛視その他の人の肩などに手をかけて手前に引き自己と体を入れ換えようとするなど、さまざまな行為に出でているが、これらを通じて、結局、同被告人としては、この混乱のなかで同被告人自身揉みくちやにされながらも、終始同次長の身辺に接近しようと試み、また、ある程度同次長に接近しえた位置から遠ざけられ、あるいは混乱自体から排除されるなどのことがないよう努めている、と目される状況であつたことが窺われるのである。

してみると、同被告人が、右にみたように、終始同次長に接近しようとするなどの挙に出でたのは、同被告人において、他の社会党議員と同様、同次長の入場を異常、不当なものと感じ、かつ、同次長がその入場後事務総長席について、本会議が開議されるに至れば、右入場の異常、不当なことも事実上無視されるかもしれないことを危惧して、同次長を制止し、抗議ないし説得をせんがためのものであつたのであるから、その際、同被告人において、仮に右赤沼の供述するごとき行為に出でたとしても、それは、この様な押し合いあるいは揉み合う混乱のなかで、その中心にある同次長に接近し、抗議ないし説得をしようとしたことから派生したもので、同被告人自身、これに気付かず、または、格別の留意も払わなかつたため特に記憶として残らなかつた、ということもありうることであつて、同被告人の前記趣旨の弁解も、あながち不合理なものとして排斥することはできない。そうだとすれば、同被告人の右赤沼に対する行為は、元来かような場合に、社会通念上許容される程度を超えて、ことさら同人に対し、積極的に不法な攻撃を加えようとか、あるいは、同人の職務執行にあたり、これが妨害となる何らかの行為に出でようとかの認識を具有してのものでなかつたというべきは当然の事理に属する。

すなわち、これを要するに、同被告人が、右赤沼に対し、暴行を加えてその公務の執行を妨害したとの点については、公訴事実該当の事実が仮に外形的に認められるとしても、その犯意の存在を首肯せしめるに足る証拠なく、結局、犯罪の証明不充分というに帰するので、爾余の点につき、さらに判断するまでもなく、無罪の言渡をなすべきものである。

三  被告人岡に対する公訴事実三について

(一) 混乱発生に至るまでの経緯とその概況

証人徳武国広の第四三回、同長谷川進の第四四回、同海保勇三、同鈴本源三の第四五回、同赤沼明の第四六回、同伴侃爾の第五五回、同荒木正三郎の第六二回、同成瀬幡治の第六三回、同秋山長造の第六四回の各公判調書中の供述部分、同加瀬完の当公判廷における供述(第六五回)、松野鶴平の検察官に対する一〇月九日付供述調書第四項、長谷川進の検察官に対する六月二九日付供述調書第三項、小沢俊郎の検察官に対する六月二〇日付供述調書第六及び第八項、赤沼明の検察官に対する一〇月二六日付供述調書第二及び第三項、同被告人の第三二回公判調書中の供述部分及び当公判廷における供述(第六八回)、検察事務官作成の教育二法案につき文教委員長の中間報告を求める動議についての覚書(二つに破られているもの)及び同動議の先議を求める動議についての覚書(一部が被りとられているもの)の各写真、押収してある官報号外四部(昭和三七年押第一二二号の四)のうち、昭和三一年六月一日付のもの、第二四回国会参議院公報一六部(同押号の三)のうち第一二三号の(一)及び(二)、先例録(一)及び(二)(同押号の一六及び一七)、調売ニユース65、75カツト及び同ニユースフイルムから検察事務官がその七六齣を拡大焼付した写真七六葉分(以下、単に、読売写真Bと略称する)中のナンバー11ないし27、40を総合すると、右公訴事実に関連する混乱発生に至るまでの経緯とその概況は次のごときものであつたことが認められる。

既に第一の三の(三)の(3) において概観したように、六月一日の本会議は午前零時一一分に一旦開議され、格別の議事は行なわれないまま午前零時二六分休憩となつたがその後、前日の五月三一日までに見受けられた本会議の開議そのものが困難というがごとき事態を収拾するため、午前七時頃から午前八時三〇分頃までの間、議長公邸において、議院運営の正常化を目標としたいわゆる四者会談なるものが開かれ、教育二法案の審議については、自民、社会両党とも議場内でフエアーに攻防をつくそうとの趣旨の申合わせがなされた。その結果、午前一〇時一七分平穏裡に本会議が再開され、直ちに議事に入つたのであるが、同日の議事日程として、予め参議院に報告されるとともに(国会法第五五条)、参議院公報をもつて各議員に通知されかつ、官報に掲載された(参議院規則第八六条)議事の順序は、第一が余剰農産物資金融通特別会計法の一部を改正する法律案(以下、単に、余剰農産物改正法案と略称する)であり、教育二法案は、午前一〇時開議予定の文教委員会において、会議に付せられることとなつていた、しかし、右の午前一〇時一七分開議の本会議においては、社会党所属の議員藤田進から、すべての案件に先立つて右余剰農産物改正法案を審議することの動議が、また自民党所属の議員川村松助から、文教委員会において審査中の教育二法案について直ちに文教委員長の中間報告を求める動議とすべての案件に先立つて同動議を審議することの動議が、各提出され、これらの動議が競合していたが、先ず、右余剰農産物改正法案を先議することの動議が議題に供されて採決に付され、これが否決されたのち、午前一〇時五九分再び休憩に入り午後一時二二分再開された。その間、社会党においては、国会対策委員会を開き、四者会談の申合わせについての報告がなされたが、社会党議長のなかには、この申合わせの趣旨とするところに疑義があり、ことに、議院運営の正常化を目標にしながら、議運委などの開かれていない現状において、議長の今後の議事運営についての取り決めにはあいまいなものがあるとして、これを議長に質さなければならないと感じていた者が多く、同被告人もまたその一人であつたので、休憩後の本会議に臨むに際しては、その開議劈頭に、先ず議事進行に関する発言をして、この点を明らかにしたいと考えていた。、

かくして、午後一時二二分本会議が再開され、松野議長が休憩前に引き続いて会議を開く旨宣した直後、同被告人は議席より起立して、「議長、参議院議員社会党の岡三郎議事進行について発言を求めます」と連呼した。なお、この議事進行に関する発言とは、議長に対する質疑、注意または希望に関するものであり、参議院規則第一二三条によれば、議事進行に関して発言をするものは、予めその要旨を参事に通告すべく、また、この発言を許可する時期は議長がこれを決定することになつているが、特に、通告のいとまのない場合は、議席より発言の許可を求めることができ、しかして、議長は直ちにその発言を許可するのが通常である(先例録(一)一七六例、参照)。しかるに、一方、松野議長は、右の本会議を開く旨の宣言をしたのち、参議院議事部議事課で予め作成していた覚書に基づき、教育二法案について直ちに文教委員長の中間報告を求める動議が提出された旨及びすべての案件に先立つてこの動議を審議することの動議も提出されているので、後者の動議を先ず議題とする旨の発言を始めた。なお、検察官は、開議劈頭、先ず松野議長の右覚書に基づく発言が開始されたのち、同被告人が議事進行に関する発言を求めた。と主張し、他方、弁護人は、同被告人が発言を求めたのち、松野議長がこれを無視して覚書によつて発言を開始した旨反駁している、けれども、当公判廷に顕われた一切の証拠によつても、当時議場騒然として喧騒をきわめていた状態にあつたことが窺われるのみで、その先後を明らかにすることはできない。ともあれ、かようにして、同被告人が議事進行に関する発言を求めたのと殆んど同時に、松野議長も、教育二法案について文教委員長の中間報告を求める動議及びすべての案件に先立つてこの動議を審議する動議が提出された旨の前記発言を始め、発言の途中であるという理由から、右議事進行に関する発言は、参議院規則第一二三条によつて適当な時期に許可する旨を述べ、同被告人の発言要求をとりあげようとしなかつたため、同被告人はこれに業をにやし、当日の参議院公報を手に持つて、議席から議長席東側に駆けあがり、同議長の横に立つて同議長に対し、発言要求をとりあげようとしないことについて抗議をするとともに、その後許可せられてなした後記発言内容のごとく、参議院公報に掲記せられた議事日程を尊重することが議院運営正常化の基本である旨強調して、その趣旨の発言を正式にすることの許可を強く求めた。その際の同被告人の具体的な行為は、後記認定のとおりである。この間、自民、社会両党の議員とも種々発言するものが多く、議場騒然となつたが、社会党側の議運委の責任者である議員天田勝正は、この事態をみて、突嗟に、本会議に列席していた参議院事務局議事部長に右発言要求の取扱いについて種々折衝をするとともに、同党所属議員加瀬完などに、同被告人の右発言要求を許可するよう議長と交渉することを指示し、ここに、右指示を受けた加瀬完のほか、荒木正三郎、秋山長造など、数名の社会党議員が同被告人の後を追つて議長席の周囲に詰め寄り、議長席西側に荒木正三郎、同東側の同被告人の横及び後方に加瀬完ほか三名位、議長席下の演壇に秋山長造ほか二、二名の各議員が立ち、議長席を取り囲むような形で、同議長に対して同被告人とともに、交々その発言要求をとりあげないことについて抗議し、かつ、これを許可するよう進言した。その際、かようにして議長席に詰め寄つた議員のなかには、議長の椅子をゆさぶるものもおり、また、折柄議場内の警衛にあたつていた衛視長伴保爾、衛視副長徳武国広、衛視班長赤沼明など、衛視数名も、急拠議長席後方に駆け寄り、議長の椅子をおさえるなどして、議場は混乱、紛糾に陥つた。

その後、この混乱、紛糾は、同議長において、同被告人に一〇分以内程度の時間で発言を許可することとし、あらためて、同被告人が議席から議事進行に関しての発言を求め、同議長の許可をえて、演壇において発言するという経過によつて平穏に収束されたが、同被告人の発言の要旨は、「参議院公報に同日の議事日程第一として揚げてあつた余剰農産物改正法案を先ず審議することが議院運営正常化の基本であるのに、これが先議を求めた動議が否決せられたことは遺憾である。四者会談によつて、議場内外の正常化をはかることが決定せられたことは、まことに同感であるが、議長においては、今後議事日程を尊重して、円満な運営をはかることを要望する」というものであつた。なお、右混乱、紛糾ののち、議長席周辺の床には、紙片が多数散らばつており、前記徳武及び赤沼などが事態収束後これを拾つて議長の机上にあげたほか、議事部議事課長であつた海保勇三において、教育二法案について文教委員長の中間報告を求める動議が提出された旨記載された前記覚書が二つに破られたものの半片を議長席の下附近から拾つてこれを同課長補佐であつた鈴木源三に手交し、保管させた。検察官において、同被告人が、松野議長から奪いとつたと主張する数枚の覚書のうち、これを特定しうるものは右覚書と、すべての案件に先立つて右動議を審議する動議が提出された覚書で、その一部が破りとられたものの二つの覚書であるが、後者の覚書については、本件証拠上、これがはたしてその際議長席周辺の床に落ちていたものであるかどうか、仮にそうだとしても、誰がどこから拾つたものかなどの点について、ついに明らかにしえず、公訴事実との関連を確めることができない。

(二) 同被告人の具体的な行為

検察官は、読売ニユース65、75カツト及び読売写真Bナンバー11ないし27、40によれば、同被告人が松野議長に殆んど接着し、怒声を発しながら、右手に丸めて持つた紙で、しきりに机を叩き、さらに、そのうちに右手で同議長が手をかけている紙の綴りを奪いとる姿が明瞭に写し出されており、これによつて、公訴事実該当の事実の証明に充分であつて、被告人岡がいかに弁解しても否定し去ることはできず、争う余地がないほど明らかである旨主張する。

なるほど、右各カツト及び各写真は、前項認定の経過によつて、同被告人、つづいて、数名の社会党議員が、相次いで議長席周辺に駆けのぼつたのちの同席附近における混乱の状況全般を議場後方二階の傍聴席から、望遠レンズを用いて正確に写しとつたもので(以上のことは証人佐々木達春に対する当裁判所の尋問調書――第五二回公判期日に該当――、桜井清寿の検察官に対する二月六日付、佐々木達春の同じく検察官に対する一〇月二六日付の各供述調書によつてこれを認める)、これによれば、その際の同被告人を含む社会党議員、松野議長、衛視らの具体的な動作は、殆んどその一部始終を明確に把握することができるものである。そこで、先ず右各カツト及び各写真を、証人荒木正三郎の第六二回、同秋山長造の第六四回の、各公判調書中の供述部分、同加瀬完の当公判廷における供述(第六五回)中、右各写真によつてその被写人物を特定した部分と対照して、仔細に観察すると(なお、附言するに、ここで考察しようとする公訴事実三中、最も重要なポイントとなるものは、同被告人が同議長から覚書を奪つたかどうかという点であるが、これを右各カツトによつて確かめるには、先にも一言したように、一駒づつ映写する方法が有効である)。

(1)  右65カツト及びこれに対応する右写真ナンバー11ないし27では、松野議長が議長席に坐わり、その左横(東側、議長側から見て右横、以下同じ)に同被告人、前記加瀬完ほか三名位、右横(西側、議長側から見て左横、以下同じ)に前記荒木正三郎、議長席下の演壇に前記秋山長造ほか二、三名の各社会党議員が立ち(なお、右荒木議員は、少し遅れてその場に到達したようである)、同被告人は、参議院公報と目される書類を丸めたものを右手に持ち、これで数回同議長の机を叩きながら、何か発言している。これに対し、松野議長は、当初、演壇に立つている右秋山ほか二、三名位の議員が、やはり参議院公報と目される書類を同議長の目前に差し示し、かつ、同議長の机のうえの書類などに手が触れているのではないかと疑われる場面があるが、これに応じて、机上の書類が乱されたのをかき集め、整理するような動作をし、同被告人の方を見ようともしない。そのうち、同被告人は左手を延ばし、同議長の左手にある書類らしきものに触れて、一見これを奪うかのごとき動作を示すが、これは一瞬時のことであり、また、右書類らしきものは同被告人の手が離れたのちも、そのまま同議長の手に残つており、それが同被告人の手に移り、あるいは、同議長の手を放れて下に落ちるというがごときことはない。その直後、同議長は、一旦同被告人を振り向くが、そのまま、直ぐ下を向き、再び同被告人を見ようとはしない。一方演壇に立つている右秋山ほか二、三名位、議長席右横に立つている右荒木などの各議員は、それぞれ同議長に向つて手を差し延ばしており、この間、右荒木議員が議長席の机上から小さな紙片(くしやくしやになつたもので、何らかの書類であるかどうかは確認できない)を拾いあげ、ついで、これを議長席の右後方に捨てるかのごとき動作をしている場面があり、また、右秋山ほか二、三名位の議員が前同様、参議院公報と目される書類を同議長の目前に差し示し、かつ、机上の書類などに手を触れているのではないかと疑われる場面がある。そして、以上の経過を通じ、同議長の椅子が、同議長席の後方から、同所を通り過ぎようとした議員と目されるもの及び同カツトの後半においてようやくあらわれる衛視と目されるものによつて二、三回揺り動かされるが、同被告人は、終始、参議院公報らしき前記丸めた書類で時折り同議長の机を叩きながら、同議長に対して何か発言しているのみである。

(2)  右75カツト及びこれに対応する右写真ナンバー40では、同被告人は同議長の机に左肘をついた恰好で何か発言しており、右秋山ほか二、三名の議員が、同議長の方に手を延ばし参議院公報と目されるものを差し示している。この75カツトにおいては、右65カツトと対比し同議長席後方にいる衛視の人数が確実に増えており右65カツトより時間的に後の場面と認められる。

以上のとおりの状況であつたことが明瞭に看取されるのである。

右検討をつくしたところに従えば、右各カツト及び写真によつて、検察官主張のごとく、同被告人が同議長から覚書を奪いとつたとのことは、ついにこれを確かめるに由なく、かえつて、もし同議長が、当時、覚書その他何らかの書類を奪われた事実があるとすれば、それは、同被告人以外の前記各議員のうちの何人かの所業によるもので、同被告人がそのような挙に出でたことはないものとみるのが相当である。検察官が、前記のように、被告人がいかに弁解しても否定し去ることができないほど明らかであるとまで主張するのは、右各カツト及び写真の検討が性急、簡略に過ぎたためとしか思われず、いま仮に、同被告人が、同議長から覚書(もしくはその他の書類)を奪うようなことがあつたとするならば、その時期は、右各カツト及び写真の撮影される前後、ことに、前認定のごとき混乱全般の状況にかんがみ、その前の時期ということにならざるをえないのである。

ところで、証人徳武国広の第四三回公判調書中の供述部分及び赤沼明の検察官に対する一〇月二六日付供述調書第二項中には、それぞれ、同被告人が同議長から覚書(もしくはその他の書類)を奪つたのを目撃した旨の記載部分がある。そこで、もし、右徳武、赤沼が、右各カツト及び写真の撮影以前にこれを目撃したとするならば、右各カツト及び写真との間の証拠上の矛盾はないことになる。しかしながら、右状況を撃のした位置について、右徳武の供述部分によれば、同人は、議長席の後方から、また、右赤沼の供述調書によれば、同人は議長席のそばに駆けつける直前、議長席斜め前方の大臣席のところから、それぞれ目撃したということになつているところ、元来、右徳武、赤沼を含む衛視らが、議長席附近に駆けつけたのは、既に検討したところによつて明らかなように、右各カツト及び写真の撮影開始後、それも同各カツト及び写真の後半の部分であることに徴すれば、同人らの目撃したのは、右各カツト及び写真に撮影されている状況のどの場面かに過ぎないことになり、従つて、同被告人が同議長から覚書(その他の書類)を奪いとるのを目撃した旨の同人らの前記各供述は、所詮同人らの錯覚もしくは誤認によるものでないかとの疑いが濃く、到底措信することができない。

以上これを要するに、公訴事実掲記の事実のうち、同被告人が同議長から覚書(その他の書類)を奪いとつたとの点は、本件証拠上、ついにこれを認めることができなく、結局、同被告人の具体的な行為として確実に認定しうるところは同被告人が、前項認定の経過によつて議長席に駆けのぼり、右手に持つた参議院公報と目される丸めた書類で、時折り、同議長の机をたたきながら、同認定のごとき抗議をし、かつ、議事進行に関する発言の許可を強く求めたということに過ぎない。しかし、起訴状、冒頭陳述及び論告によれば、検察官は、右行為をも訴因構成事実として訴追したものと認められるので、これが犯罪を構成するかどうかは、のちに考察することとする。

四  被告人亀田に対する公訴事実二、同松浦に対する公訴事実全部、同清沢に対する公訴事実について

(一) 混乱発生に至るまでの経緯とその概況

証人藤田進の第二八回、同荒木正三郎、同岡田宗司、同芥川治の第二九回、同河野義克の第三四回、同松本圭三の第三六回、同佐藤吉弘、同徳武国広の第四三回、同佐藤宏、同長谷川進の第四四回、同島正雄、同海保勇三、同鈴本源三、同小沢俊郎の第四五回、の各公判調書中の供述部分、同河野義克(第六〇回)同荒木正三郎(第六二回)、同成瀬幡治(第六三回)、同加瀬完(篤六五回)の当公判廷における各供述、被告人亀田、同松浦、同清沢の第三二回公判調書中の供述部分及び当公判廷における各供述(第六八回)松野鶴平の検察官に対する一〇月九日付供述調書第五項、島正雄の検察官に対する九月二六日付供述調書第四項、河野義克の検察官に対する六月一三日付供述調書第五項、検察官作成の検証調書、押収してある官報号外四部(三七年押第一二二号の四)のうち昭和三一年六月一日付及び同月二日付のもの、先例録(一)及び(二)(同押号の一六及び一七)、参議院衛視必携(同押号の一五)、読売ニユース66及び80カツト(同押号の七)、読売写真Aナンバー8ないし22、29、ないし35、日本放送協会フイルムー六ミリ缶入り一個(同押号の六)中のカツトナンバー3及び17、(以下単にNHKニユース3および17カツトというように略称する)、同ニユースフイルムから検察事務官がその一九齣を拡大焼付した写真一九葉(以下、単に、NHK写真と略称する)中のナンバー2ないし12、18を総合すると、右各公訴事実に関連する混乱発生に至るまでの経緯とその概況は、次のごときものであつたことが認められる。

前記第二の三の(一)において認定したごとき経過によつて、六月一日午後一時二二分開議の本会議劈頭に発生した混乱も、松野議長が被告人岡に対して、その議事進行に関する発言を許可する措置をとつたことにより収束され、一応議事が進行されるに至つたが、その後、社会党所属の議員江田三郎から提出された芥川事務総長の不信任決議案の審議中、再び議場が混乱に陥るに至つた。すなわち、同決議案については、先ず、その審議に先立ち、自民党所属議員川村松助ほか五名からの提案になる同日の議事における発言時間の制限に関する動議が採決に付されて可決されたのち、同決議案が委員会の審査を省略するものであつたところから、発議者である右江田議員の趣旨及び内容に関する説明がなされ(参議院規則第一〇七条参照)、次いで、社会党所属議員羽仁五郎及び同木村禧八郎の両名によつて、右説明に対する質疑が行なわれたが、江田議員の右質疑に対する答弁中、これが前記発言時間の制限を超過したため、松野議長から、同議員に対して、国会法第一九条、第一一六条による議長の秩序保持権に基づく降壇命令が発せられ、さらに衛視によつて同命令の執行がなされたことに端を発して、再び議場内に混乱が生じ、この混乱のうちに午後六時四四分休憩となつた。この間の具体的な議事経過は、既に第一の三の(三)の(3) において概観したとおりである。右質疑の継続中、自民党側からは、同党所属の議運委理事によつて後記慣例に従い、質疑者二名の質疑が終つたのちにおいて提出するものであることの意思を明らかにして、前記川村議員ほか五名の提案にかかる質疑終局の動議の文書(質疑終局の動議は文書によつて提出するのが例である。先例録(二)一八九例参照)が、本会議に列席していた参事の手許に届けられていたが、右混乱が発生したことによつて、この動議は、議題に供せられないまま、休憩に入ることとなつたのである。

ところで、この質疑終局の動議は、慣例によれば、かように質疑者二名の質疑を終えたのちに提出できるものとされているのであるから(先例録(二)二四六例参照)、先に第一の三の(二)において考察したように議運委などが開かれず、自民、社会両党の意思、連絡に欠けるところのあつた当時においても、従前の右両党間の政治的駆引、攻防の経過からして、質疑者二名の質疑が終つた段階に至れば質疑終局の動議が提出されるかもしれないことは、技術的に、一応予測されなくはないところであつたとはいえ、反面右動議の提出が慣行によつて文書で、しかも未だ質疑継続中に、いわば条件もしくは期限付で提出され、かつ、その後議場内に混乱が生じたため議長においても、これが提出されていることを宣しなかつた関係上、野党である社会党側にとつては、現に右動議が提出され、再開後の本会議劈頭において、直ちに採決に付さるべき議事順序となつていたことを知る由もなかつた。

かくして、右休憩後、午後八時二二分頃、本会議再開を知らせる振鈴が鳴らされた。そして松野議長及び河野事務次長がそれぞれ議長席、事務総長席につき、直ちに松野議長において休憩前に引き続き会議を開く旨宜した後、右質疑終局の動議を議題に供して、採決に付した。この採決は、自民、社会両党対立下における当時の情勢にかんがみ、他の動議決議案などの採決のすべてがそうであつたように、記名投票をもつて行なわれることになつたため(参議院規則第一三八条参照)、同議長の命により、参議院規則第一四〇条に基づく議場閉鎖がなされ、次いで参事において氏名点呼するのに応じて、投票が開始された。(先例録(一)二三六例参照)。ところで、この議場閉鎖は、慣行としては、通常議員の出入りする南側東及び西入口(先例録(二)一七九例参照)のみ鎖錠をもつて閉鎖し、通常国務大臣、政府委員及び特に指定された事務局職員などの出入りする北側東及び西入口(参議院衛視執務要領第四条第一、八参照)は閉鎖しないのを例としていた。しかるに一方、右本会議においては、元来議員がそれによつて議場へ入場する慣行となつている右振鈴から議長が本会議の開会を告げるまでの時間が通常の場合におけるそれとくらべてかなり短かく(なお、先例録(二)一七九例参照)、かつ、この開会宣言に引き続いて、直ちに記名投票のための議場閉鎖がなされ、しかも、その際、本会議開会のための定足数こそ充していたものの、その多くは政府与党である自民党、及びこれに同調していたと目される緑風会の各議員であつて、反対党である社会党議員で、右議場閉鎖までに議場内に入場していたのは、相馬肋治、荒木正三郎、その他数名の議員に過ぎなく、その他の大部分の議員は、右議場閉鎖によつて議場に入場できなかつたため、これが社会党各議員の憤激と不信を買い、後記のごとき混乱を惹起せしめることとなつた。

すなわち、被告人亀田、同松浦、同清沢を含む社会党議員らは、右振鈴の直後頃、議場に入場すべく、三三、五五、当時社会党議員控室であつた第四、第五控室から、同控室に近い南側西入口に赴いたが、偶々これより先便所に行こうとして右控室を出て、振鈴を聞き、そのまま議場に入つた荒木正三郎や、その他右相馬肋治、ほか数名の議員が入場しえたのみで、その余の社会党議員は右入口に到達した際、既に、同入口は議場閉鎖によつて、鎖錠され、かつ、同入口に立番していた議場外勤務の衛視にさえぎられたため(参議院衛視執務要領第四条第一九(イ)参照)、入場することができなかつた。そこで、かように入場しえなかつた社会党議員は、振鈴直後通常の慣行に反した短かい時間内に開会が宣言された議場閉鎖にまで至つたのは、まことこに異常な事態であり、同党議員の審議参加の機会もしくは決権行使の機会を不当に奪つたものであると感じて激昂し、また、閉鎖中の議場内で行なわれている議事が、休憩前に提出された前記芥川事務総長不信任決議案についての質疑終局の動議であることを覚知せず、あるいは、休憩前の議事経過などにかんがみ、一応これを予想したものも、右動議採決後、直ちに自民、社会両党対立の焦点である教育二法案について文教委員長の中間報告を求める動議を議題に供するなど、いかなる議事の経過を経るか到底予測しえないものがあると危惧し、強い不信感に駆られ、一刻も早く議場内に入り審議に参加しようと決意するに至つた。そのため、右入場しえなかつた社会党議員のうちには、加瀬完、藤田進、岡田宗司の各議員のごとく、突嗟に議場後方二階の傍聴席に駆けあがり、右傍聴席から飛び降りようとしたものさえあつた。一方被告人亀田、同松浦、同清沢を含むその余の多数の社会党議員は、議場閉鎖中といえども鎖錠されない慣行となつている北側入口から議場に入場しようと考え、それぞれ、議場西側廊下を走り抜けて、北側西入口に急いで赴いた。しかるに、右入口も、通常の慣行に反して鎖錠されていたうえ、右社会党議員の到着する直前頃、衛視長細野某の指揮によつて同入口に駆けつけた松本圭三ほか多数の衛視によつて、議場閉鎖中であることの理由で入場を阻止されたため、たやすく入場することができず、ここに、右社会党議員、さらには、事態の急をみて同入口附近にきた同党秘書と右衛視との間に、激しく押し合いあるいは揉み合うという混乱まで惹起せられるに至つた。しかし、右社会党議員は、この北側西入口まで鎖錠され、かつ、多数の衛視が同入口を警衛していることから、前記のごとき憤激と不信の念をますますつのらせ、社会党議員を故意にしめ出したものとまで断じて、右衛視の警衛を排除し、偶々鎖錠の解けた右入口の扉を排して、同入口から議場内になだれ込むようにして入場し、折から議長席にあつて、前記芥川事務総長不信任決議案についての質疑終局の動議の記名投票による採決を主宰していた松野議長、及び事務総長席にあつて、事務総長の職務を代行すべく予め指定を受けた参事として、同議長を補佐していた河野事務次長のところに駆け寄り、それぞれ同議長及び同次長に対して、激しく抗議したため、議場内は収拾しがたいほどの混乱に陥つた。かくして、右採決は、結局中止されるの止むなきに至り、本会議は間もなく休憩となつた。

ところで、この間の経過について、昭和三一年六月一日付官報号外には「〔「社会党だけしめ出すとは何だ」「反対党に錠をかけて入れないとは何か」「議会のクーデターだぞ」「社会党を国民の議場に入れなくて何をやろうとするのか」「明らかに謀略だ」「自民党のクーデターじやないか」と呼ぶものあり、その他発言するもの多く、議場騒然〕」なる旨の記載がある。なるほど右振鈴後議場閉鎖に至るまでの一連の手続は、それが、振鈴から議長の開会宣言までの時間的余裕の点において、議場閉鎖の際通常は鎖錠しない取扱いとなつている北側東及び西入口が鎖錠された点において、さらには、右開会の際一応定足数こそ充していたものの、反対党である社会党一会派の出席のみきわめて僅かであつた点において、それぞれ従前の慣行に反したものであることは否めないが、これが参議院当局あるいは政府与党たる自民党などの格別の意図に基づくものであるかについては、当公判廷に顕われた全証拠を仔細に検討してみても、未だこれを確めるに足る資料がない。しかし、反面、少くともかような従前の慣行に背馳した経過によつて、社会党議員の大部分がその意思に反して議場外に取り残される結果となり、そのため、これら社会党議員においては、審議参加の機会もしくは表決権行使の機会が不当に奪われたと信じ、右官報記載のごとき極度の憤激と切迫した心情にあつたことは、優にこれを肯認することができる。それが故に、翌六月二日午前零時一〇分開議の本会議劈頭において、議長席についた寺尾副議長より、釈明として、「昨夜の会議で休憩しましたのは、開会にあたり手違いがあつた点もあるからであります」との発言がなされ、また、その後、以上のごとき混乱が、振鈴後開会宣言までの時間が短かく、かつ、直ちに議場閉鎖に至つたことに端を発するものであることにかんがみ、かような事態の再び生ずるのを避けるため、開会の振鈴に先立ち、五分前に予鈴を嗚らすといういわゆる予鈴、本鈴の制度が採用されるに至つたのである(先例録(二)一七九例参照)。なお、附言するに、右振鈴後議場閉鎖に至るまでの時間について、検察官は、これを五、六分あるいは七、八分位であると主張し、一方、弁護人は、たかだが一分程度に過ぎない旨反駁している。もとより、この間の時間的長短は、被告人らの行為の意味を理解するうえにおいて、重要であること、論をまたない。しかし、当裁判所は、本件各証拠をつぶさに対照検討し、慎重に考究してみたが、遂に検察官あるいは弁護人の主張するごとく、右時間を厳密に数字的に把握することができなかつた。けだし、被告人らが北側西入口から議場内になだれ込むようにして入場した際の模様を写しとつた前掲読売ニユース80カツト及び同写真Aナンバー29ないし35に午後八時三〇分前後頃を指す時計が写つており、これと本会議開議の時刻が午後八時二二分であつたこととを対比し、ある程度の時間的経過の推測は可能であるが(このことは、検察官、弁護人ともそれぞれその論拠の一とする)右時間内において振鈴後議場閉鎖を命ずるまでの時間と、同閉鎖後社会党議員が北側西入口からなだれ込むようにして入場するまでの時間については、結局、これを体験した冒頭掲記の各証人の供述するところに頼るほかないものであるところ、これら各証人のうち、弁護人主張の裏付けとなる社会党所属の議員などである証人らは、当時議場に入場できなかつたことによつて憤激と不信の念にかられていたことから、また検察官主張の裏付けとなる事務局職員などである証人らは、その供述するところがまことに区々であることに加えて、当時それぞれその職務につき、あるいはつこうとしていた際であるところから、かような微細な時間的経過についての認識にはなお十全の信を措きがたいものがあると考えざるをえないからである。しかしながら、少くも前叙認定のごとく、この振鈴から開会完言をするまでの時間が通常の場合におけるそれよりも短かかつたことは、当時議事を主宰していた松野議長及び同議長を補佐すべき事務総長の職務を行つていた河野事務次長においても、これを自認しているところであつて、動かしがたい事実である(なお、この点について、松野鶴平の前掲供述調書第五項によれば、「振鈴と開会の間に時間がなかつたため……「後から考えれば、もう少し時間をおいて開会すれば良かつたとも思いますが……」なる旨の記載があり、また河野義克の前掲供述部分によれば、「それで考えてみますと、やはり開会の時間がふだんよりも若干早かつたかも知れない」「普通ならば、もう少し時間をおいて各会派の人が相当数入るのを待つてやることだろうし、特に開会後直ちに議場閉鎖となる順序となつていたことを考えると、なおさらそうだろうと思う。若干そういうことの顧慮なくして開会をすぐ宣したという状祝だつた」なる旨の記載がある)。そして、その際、通常は、振鈴後議長の開会宣言までに議場に入場しておくべき筈の、議場内参事として予め指定を受けた事務局職員(参議院事務局分課規程第三三条)のうち、委員部第一課長佐藤吉弘、議事部請願課長島正雄、同部議事課長海保勇三、同課長袖佐鈴木源三、人事課長小沢俊郎(同人は記名投票の場合、投票を受取り、計算する職責を担つていた)など多数のものが、格別入場の遅れるような理由とて存しなかつたのに、そろつて議長の開会宣言までに入場することができず、衛視長である警務部警務課長補佐佐藤宏のごときに至つては、同人に対しては通常予め開会の振鈴が鳴らされる時刻を知らされるのに、これが知らされなかつたということもあつて、議場閉鎖後、投票が開始されてからようやく入場していること(なお、右開会宣言前に入場していたと認められる議場内衛視長谷川進は、振鈴前において、自民党、緑風会所属各議員が既に議場に入つていることを聞知し、自己も議場に赴いたもので、振鈴後に行動を起して入場したものではない。以上のことは、冒頭掲記の各証拠によつてこれを認める)、しかるに反面、第一の三の(二)において一瞥したように、当時議運委などが開かれておらず、従つて、ことに野党である社会党議員にとつては、何時本会議が開議されるかも予知しえないとして待機していた状態にあつたことに徴すれば、社会党議員の多くが議場閉鎖に至るまでに議場に入場できなかつたことは、ひつきよう、振鈴後議場閉鎖までの時間が通常の場合におけるそれよりも短かかつたことに起因するもので、到底その責に帰することのできないものであることは、自ずから明らかであろう。

(二) 被告人亀田の具体的な行為

前項冒頭掲記の各証拠、ことに、被告人亀田の第三二回公判調書中の供述部分及び当公判廷における供述(第六八回)、検察官作成の検証調書、読売ニユース80カツト及び同写真Aナンバー29ないし35、NHKニユース3カツト及び同写真ナンバー2ないし12によれば、同被告人において、他の社会党議員とともに北側西入口から議場内になだれ込むようにして入場し、河野事務次長に対して、後記認定のごとき行為に出でるまでの経過と、その動機、目的は、次のようなものであつたことが認められる。

同被告人は、本会議開会を知らせる振鈴が嗚つた当時、議場と西側廊下を隔てて対面する位置にある議員食堂にいたが、右振鈴を聞き、直ちに南側西入口に赴いたところ、同入口は既に議場閉鎖によつて鎖錠されていたため、同被告人と相前後して同入口にきた他の社会党議員とともに、議場外に取り残され、入場することができなかつた。そこで、前項認定のような動機から、突嗟に、議場西側廊下を走り抜けて、北側西入口に廻り、同入口から議場に入場しようとした。しかるに、前項認定のごとく、右入口も通常の慣行に反して鎖錠され、かつ、多数の衛視によつて警衛されていたので、同人口からも容易に入場することができず、そのため同入口附近において、社会党議員及び事態の急を聞いてその場に駆けつけた同党秘書と右衛視との間に激しく押し合うあるいは揉み合うという混乱が発生したのであるが、この混乱のなかにあつて、同被告人は、衛視に対して、自己が議員であることを明らかにして、議場内に入れてくれるよう求めた。そして、かような混乱がつづくうち、偶々右入口の鎖錠が解けたので、社会党議員は、同入口から一団となつて、なだれ込むようにして議場に入場したが、同被告人は、この一団の先頭に立つて議場内に入つた。なお、同被告人の右入場後の具体的な行為は、後記認定のとおりであるところ、同被告人が、このような行為に出でたのは、審議参加の機会もしくは表決権行使の機会が不当に奪われたものと信じていたが故に、これを回復するためには、とりあえず、進行中の議事を一時中止せしめるのが捷径であつて、その手段としては、事務総長の職務を行なつている河野事務次長を一先ず事務総長席から引き離し、同次長に、休憩その他議事の中止を議長に進言するよう交渉、説得するのが、最も効果的であり、また、同時に、同次長に対しては、元来本会議開会に際して、ことに当時のごとき議運委などが開かれず、各会派間の会議についての打合わせが行なわれていない場合にあつては、定足数の充足は勿論、各会派の出席状況なども十分確かめ、議長を補佐すべき職責があるのに、これをつくさず、かかる事態を惹起せしめたことについて、抗議すべきものと考えたためにほかならず、その動機、目的は帰するところ本会議における議事運営を正常に復せしめようということにあつた。

そこで、進んでその際の同被告人の具体的な行為を明らかにしよう。前項冐頭掲記の各証拠中、NHKニユース3カツトは、前項認定の経過によつて、同被告人を含む社会党議員が北側西入口から議場内になだれ込むようにして入場したのちの、同次長を中心とする混乱の全般的状況を議場後方二階の傍聴席から望遠レンズを用いて正確に写しとつたもので(以上のことは、証人梅村弘に対する当裁判所の尋問調書二通――第五〇回及び第五三回公判期日に該当――、同人の検察官に対する八月八日付供述調書によつてこれを認める)、これによれば、その際の同被告人を含む社会党議員、同次長の具体的な動作は、殆んどその一部始終を明確に把握することができるものである。従つて、先ず、右カツトに、NHK写真ナンバー2ないし12をあわせ、かつ、同被告人及び当公判廷に証人として出頭した河野義克の容貌、体格などによつて、その被写人物を特定して、仔細に観察すると、

同被告人は、北側西入口から入場後、折柄事務総長席に着席している河野事務次長のところに駆け寄り、同次長の後ろに廻つて、同次長の椅子をゆり動かして、これをはずすような動作をし、それに伴つて、同次長は立ちあがり、後向きとなつて、よろめくようにして一段高くなつている事務総長席から降りるが、これは、結局同被告人の右動作によるものと認められる。その際、同被告人が公訴事実掲記のごとく、同次長の手を引いて右椅子から降ろしたものであるかどうかについては、同被告人の右手が同次長の背広の右ポケツト附近で同次長の手もしくはその袖口と触れているのではないかと疑われる場面があるが、一方、同被告人の体は、同次長の斜後方にあつて、手を引いて降ろすというような位置になく、結局、これを確かめることができない。そして、以上の経過を通じ、同被告人は同次長に対して、終始何事か発言していることが看取され、状況からみて、抗議、詰問をくりかえしているものと認められる。ついで、同次長は、西側大臣席と事務総長席の中間附近で、事務総長席に向つて立ち、同次長に対面して立つている同被告人の胸に手をあてているが、その直後、同被告人は左手で同次長の左胸を一回突き、これによつて、同次長は後方にさがり、かつ、同次長が同被告人に背を向けた恰好となる。その後、同被告人を含む数名の社会党議員が同次長を取り囲み、暫時何か発言して、抗議ないし事態の収拾について交渉しているかのごとき場面があるが、これに引きつづいて、同被告人は、その左肩を同次長の右肩に突き当て、さらに左肘で一回小突くような動作をし、そのため、同次長は、西側大臣席と同参事席の間に押しやられることとなる。そして、再度、同被告人を含む数名の社会党議員が同次長を取り囲み、暫時何か発言しながら、前同様抗議などをつづけるかのごとき場面があり、そこに被告人清沢などが加わり、後記四の(四)認定のごとき行為をするが、その間、同被告人は、同次長の体に手を触れているのではないかと疑われる場面も一応存するものの、これを確かめることができず、そのほか特にとりたてて同次長に対して何か手出しをするというようなことは見受けられない。そのうち、同被告人の後方にいた眼鏡をかけ、肥つた議員が、同被告人と同次長の間に割つて入り、その後、同被告人は、同カツトから姿を消し、再び同次長のそばに接近することはない。一方、同次長は、さらに右大臣席と参事席の間で若干西寄りのところに行き、同所にいた数名の社会党議員に取り囲まれる。右数名の社会党議員は、同次長に対して、押しあるいは突くなどの動作をしており、これはかなり激しいものがある。そして、同次長は、それがため、北側西入口附近にまで追いやられるが、右数名の社会党議員のうちには、同被告人の姿はみあたらない。

以上のとおりの状況であつたことが明瞭に看取されるのである。

なお、証人佐藤吉弘の第四三回、同海保勇三の第四五回公判調書中の供述部分及び島正雄の検察官に対する九月二六日付供述調書第四項中には、それぞれ、同被告人が、河野事務次長をその椅子から降ろしたのち、ネクタイの辺をつかんだり、襟元をつかんだりするような動作で同次長を押して行くのを目撃したとか、あるいは、同次長を北側西入口から議場外に押し出そうとしたのを制止し、もしくはこれを目撃したとかの、公訴事実に関する検察官の主張(起訴状、冐頭陳述、論告)に沿う記載部分があるが、同各供述部分は、右カツトにその供述するごとき場面が全く見あたらず、ことに、同次長が北側西入口附近に至つた際には、同被告人の姿を同次長の身辺に見出すことすらできないこと、また、仮に、右供述するごときことが、右カツト撮影後におけるものであつたため、同カツトに顕われていないものとの想定を容れうる余地があるとしても(尤も、右カツトはその際の状況の殆んど一部始終を撮影したものと目されるから、右想定自体いささか無理ではあるが)、なお、河野義克の検察官に対する六月一三日付供述調書第五項によれば、同次長は、右カツトによつて観察された行為については、同被告人の名を挙げて、それが同被告人の行為である旨明確に供述しているのに、ネクタイを引つぱられたこと、あるいは、北側西入口から押し出されようとしたことについては、そのようなことのあつたことを認めながらも、それが同被告人の行為によるものであることを供述していないという不審の存することに徴し、たやすく信用することができない。

以上検討をつくしたところに従えば、結局、本件証拠上、同被告人の具体的な行為として確実に認定しうるところは、前記のように、同被告人が北側西入口から議場内になだれ込むようにして入場したのち、折柄事務総長席にあつて、事務総長としての職務を代行していた同次長のところに駆け寄り、同次長の椅子をゆり動かしてこれをはずすようにし、この動作によつて、同次長を事務総長席から降ろし、それに引きつづいて、西側大臣席附近において、左手で同次長の左胸を一回小突き、さらに、左肩を同次長の右肩に突きあてて、左肘で一回小突いたが、その間、同被告人は終始同次長に対して抗議などのための発言をくりかえしており、同被告人において、かような行為に出でた動機、目的は、ひつきよう、審議参加の機会もしくは表決権行使の機会を不当に奪われたものと信じ、かかる事態を生ぜしめたことについて、元来本会議開会に際し、定足数の充足、各会派の出席状況などを確かめ、議長を補佐すべき職責のある同次長に対して、抗議するとともに、休憩その他議事中止を議長に進言するよう交渉して、審議参加の機会もしくは表決権の行使の機会の回復をえようとしたことにあつた、ということである。

そこで、叙上認定にかかる同被告人の行為が犯罪となるかどうかについては、後記において考察することとする。

(三) 被告人松浦の具体的な行為

前記四の(一)冒頭掲記の各証拠、ことに同被告人の第三二回公判調書中の供述部分及び当公判廷における供述(第六八回)によれば、同被告人が、他の社会党議員とともに北側西入口から議場内になだれ込むようにして入場するに至るまでの経過は同被告人が振鈴当時、社会党控室で待機していたこと、及び、同被告人は右北側西入口から被告人亀田につづいて、二番目に入場したこと以外は、被告人亀田の場合と全く同様であつたことを認めることができる。

そこで、以下、被告人松浦の右入場後の行為にして、同被告人に対する各公訴事実掲記のごときことがあつたかどうかについて、考察を加える。

(1)  公訴事実一に対応する事実関係

前掲NHKニユース3カツト(但し、先に、同カツトの撮影場所などの認定に供した証拠中、証人梅村弘に対する当裁判所の尋問調書二通、とあるは、被告人松浦の関係では、同証人の第五〇回及び第五三回公判調書中の供述部分として引用)及び同写真ナンバー2ないし12(ことに2ないし6)、同じく、右場面を議場後方二階の東側記者席から望遠レンズを用いて正確に写しとつたものと認められる読売フイルム80カツト(以上のことは証人池田正男の第五一回公判調書中の供述部分、同人の検察官に対する七月二六日付供述調書によつてこれを認める)及び同写真Aナンバー29ないし35によれば、同被告人が、右入場後、事務総長席に駆け寄つたのちの、同所附近における同被告人及び同次長の具体的な動作の一切を端的に把握することができる。そこで、右各カツト及び各写真(なお、その被写人物の特定は、同被告人及び当公判廷に証人として出頭した河野義克の容貌、体格などによつて、これを行う)に、同被告人の当公判廷における供述(第六八回)をあわせ、検討すると、同被告人は、被告人亀田の場合と同様審議参加の機会もしくは表決権行使の機会が不当に奪われたものと信じ、かかる事態を生ぜしめたことについて、元来本会議開会に際し、定足数の充足、各会派の出席状況などを確かめ、議長を補佐すべき職責ある事務総長の職務を行つている同次長に対し、抗議しようとの気持から、「このような会議はやめなさい」というような発言をしながら事務総長席に駆け寄り、その正面に廻つて、先ず、右手を右総長席の机のうえにおき、同次長に右趣旨の抗議を始めたが、その直後、同次長が、被告人亀田から椅子をゆり動かされて腰を浮かし、立ちあがる恰好となつたのを、被告人松浦の右抗議にとりあおうともせず、かえつて、憤然とした色をみせたものと誤解し、机上の書類を両手でかき廻わし、これを散乱させるという挙に出でたことを認めることができる。そして、証人河野義克の当公判廷における供述によれば、右書類は当時右事務総長席の机上においてあつた職務上必要な書類であつたことが明らかである。そうすると、公訴事実該当の事実については、一応、これを肯認しうべきものとしなければならない。尤も、検察官は、同被告人の右の書類をかき廻したという行為には、かなり激しいものがあつた旨主張する。しかし、前記各カツトを虚心に観察すると、その際の同被告人の抗議態度にして、やや粗暴に過ぎた嫌いの存することは否めないにせよ、両手で書類をかき廻したという行為自体は、瞬間的なことであつて、それほど激しいものとは認められず、それがため、同次長において、何らかの意味で、その身体に危険の及ぶべきことを感知するといつたがごとき性質のものではなかつたことが明らかである。

そこで、叙上認定にかかる同被告人の行為が犯罪となるかどうかについては、後記において考察することとする。

(2)  公訴事実二に対応する事実関係

被告人松浦が、前項において認定したごとき経過で河野事務次長に対し、抗議したのち、さらに議長席周辺に至り、折柄議長席にあつた松野議長に対し、右同様抗議をし同所附近で生じた混乱に加わつたことは、後記(3) において考察するとおりであり、また、同被告人が右のように議長席周辺に至る前後頃、右公訴事実において被害者とされている松本圭三が、北側東入口から入場して、やはり議長席周辺に行き、同所附近における右混乱に加わつたこと、及び、同人が右混乱もしくはこれに先立ち、議場北側西入口附近で惹起された混乱のため、かなりの傷害を受け(尤も、そのいずれの混乱からいかなる傷害を受けたかは、検察官弁護人双方の主要な争点の一となつているが、この点についてはしばらく措く)、かつ、議長席周辺における右混乱の際に何らかの原因によつて意識を失い、昏倒するに至つたことは、証人松本圭三の第三六回及び第五六回、証人小貝武雄の第五六回の各公判調書中の供述部分、近藤正也の検察官に対する二月九日付供述調書、医師である同人作成の診断書二通、医師斎藤直蔵作成の診断書、国家公務員災害補償療養補償請求書(いずれも、傷病の部位、程度についての医師の証明部分を含むもの)三通、NHKニユース17カツト及び同写真ナンバー18、読売ニユース66カツト及び同写真ナンバー8ないし22を総合して、これを認めることができる。

しかしながら、その際、同被告人が右松本に対して、右傷害または昏倒の原因となることがごとき何らかの行為をしたかどうか、換言すれば、公訴事実掲記のごときことがあつたか否かについて、これを示唆すべき積極的な証拠は、右各証拠のうち、右松本の供述部分においてはほかになく、また、同供述部分を裏付けるものとしては、右小貝の供述部分が存するのみである。(なお、同被告人は、この事実について、徹底的に否認している)。そこで、以下、右各供述部分の信ぴよう力について検討を加える。

先ず、便宜上右各供述部分の内容を掲記すると、次のとおりである。すなわち、右松本の供述部分は、これを要約すると「社会党議員が北側西入口から入場した直後、私は衛視長の資格をも具えていた警務課長中俣某から、北側東入口より議場に入場して議長席を警護するよう命ぜられ、駆足で右入口に廻つて、そこから入場した(以上第三六回公判調書中の供述部分による)、入場後、参事席の後方を通つて議長席に向つたが、途中社会党所属の議員成瀬幡治が大手をひろげて立つていた。そこを通り抜けて議長席東側に接近すると、そのとき既にその周辺に被告人、松浦その他久保等など三、四名の社会党議員がいた。″(問)松浦議員と久保議員はどこでどういうことをしておつたか覚えがありますか (答)東入口から入りまして議長の手前に松浦先生と久保先生が議長の机に寄りかかるようにして、多分議長に抗議をしておつたんだと思いますがそういうふうな形でした″ところで、この議長席に行くには、二段ほど階段をのぼるようになつており、同被告人はこの階段をのぼつた位置にいたわけである。しかし、右のような状況では、到底議事の進行はできないと思われたので、議長席附近を整理するため、私も、右階段をのぼつて同被告人の斜後方に行き、同被告人に、先生御降壇を願います、というようなことをいつて降壇を求めた。″(問)降壇をお願いしてからどうゆうことがありましたか (答)再三降壇をお願いしたんです、そのときに、うるさい、といつて先生のうしろにいた私を肘で払われたんです。″これは右肘だつたが、それが私の胸か腹の辺にあたり、そのため、私は一寸よろけて、右階段の下に、仰向けに落ちた、それで、私は起きあがつて、また階段をのぼり、右同様、同被告人に対して、降壇を求めた、″(問)それに対して (答)前と同じように、肘で、うるさい、といいながら押されて、また落ちたのです″やはり右肘で、このときも私の胸か腹にあたつた、そのため、また、右階段の下に、仰向けに落ちたわけだが、それから意識を失い、次に意識を回復したときは、病院で寝ていた、なお、二度目に落ちたとき、多少附近をのたうち廻つたことがあるかもしれないが、良く覚えていない(以上、第五六回公判調書中の供述部分による)」というものである。一方、右小貝の供述部分は、これを要約すると「私は、上司の指示によつて北側東入口に廻わり、そこから一入場して、議長席にあがる二段ほどの階段のところに行くと、同被告人が右階段をのぼろうとしていた。そこで私が、同被告人に対して、先生おさがり下さい、というようなことをいい、また、多少ひつぱるようにして、降壇を促すと、同被告人は、いわば、うるさいというような恰好で、うしろの方を手で払うような動作をした、この手が私の耳の辺にあたり、そのため、私は気分が悪くなつたので、議場外へ出ようとして、北側東入口附近にある東側参事席のところまで行くと、そこに松本圭三が手を前に出してうつぶせに近い恰好で倒れていた、同人は、痛がつているような感じで何かいつていたように思う」というものである。

右松本及び小貝の各供述部分を対比して吟味すると、相互に重要な喰い違いの存することが、一見して明らかである。すなわち、その一は、右松本が昏倒した時期(従つて、公訴事実との関連においては、同被告人が同人に暴行を加えた時期)の点についてであり、いま一は同人が倒れ、あるいは倒れているのに出会つたという場所の点についてである。前者については、松本の供述部分を前提とすると、同人が同被告人から右肘で胸または腹の辺を払われ、昏倒するに至つたのは、同被告人において、既に、議長席附近に赴き抗議などをしていた際であるか、もしくはそのあと、ということになるのに対し、一方小貝の供述部分を前提とすると、同人が同被告人から耳の辺を手で払われたのは、同被告人において、議長席に向うべく議長席にあがる二段ほどの階段をのぼろうとしていた際であり、同人は、その直後、議場外へ出ようとして、右松本が倒れているのに気付いた、というのであるから、事柄の当然の帰結として、右松本が昏倒したのは、同被告人が議長席に至る以前の出来事であつたということになり、明らかに食い違いが存する。また、後者についても、右松本及び小貝の各供述部分がいずれも真実であると仮定し、いま、仮に、この双方に従うとすれば、松本は右階段下に転落したのち、議場北側東入口附近まで移動したことにならざるをえないが、反面、この点に関し、松本の供述するところは、多少附近をのたうち廻つたことがあるかもしれない、という程度に止まつており、やはり看過しえない矛盾がある、といわざるをえない。そこで、以下、右松本及び小貝の各供述部分を、他の証拠との関連において、つぶさに検討してみる。

(イ) 先ず、小貝の供述部分について検討を加えよう。同供述部分中、松本の昏倒したのが、同被告人において議長席に至る以前であつたとの帰結を呼ぶ部分の到底措信しがたいことは、前記各カツト及び各写真に徴し明らかである。けだし、右各カツト及び各写真、ことに、読売写真Aナンバー18ないし20を松本の供述部分中、同各写真によつてその被写人物を特定した部分と対照して観察すると、同被告人が既に議長席東側において、議長に抗議し、かつ、議長席椅子の右肘掛附近にしがみついている衛視長佐藤宏に対して、後記(3) 認定のごとき行為に及んでいる際、右松本は同被告人から衛視久保某を一人おいた後方に立つており、未だ昏倒する以前であることが明瞭に看取されるからである。従つて、もし、右小貝の松本に関する供述にして信用すべき部分があるとすれば、それは、同人が松本の倒れているのに気付いた、という点にのみ限局されざるをえず、その時期あるいは場所など、これを同被告人の行為と結びつけうべきものは何もない、ということになる。

(ロ) そこで次に松本の供述部分について検討する。しかし、同供述部分は、検察官側の立証活動上有力な支柱と目されるものであるから、他の証拠との関連においてこれが検討を進めるにあたつては、便宜上、検察官の証拠上の主張、すなわち、同被告人が松本に暴行を加えた時期は、右各カツト及各写真に同人が写されている場面、換言すれば、読売写真Aナンバー18ないし20もしくは右各カツト中これに該当する場面の直後または少しあとである、との見方を手がかりとして、さらに場合を分つて仔細に吟味してみよう(尤も、検察官は、審理の当初においては、右暴行の時期について右各カツト及び各写真に写されている同被告人が衛視長佐藤宏に対して後記(3) 認定のごとき行為に出でる以前であつた旨主張していたもののごとくであるが、同主張の到底採りえないことは、右(イ)において判断したところによつて、既に明らかである)。

(i) 最初に、右読売写真Aナンバー18ないし20の場面の直後であるとの主張に即して検討する。右各カツトによれば、右ナンバー18ないし20に該当する場面及びこれにつづく一連の場面において、同被告人は終始議長席に接した位置にあり、その背後には、社会党議員久保等、衛視久保某ほか数名の衛視がいて、これらのものが一団となつて密集した状況であることが容易に看取され、また、一方、この状況に照らし、右久保議員は、同被告人と同様、議長に抗議するため、また、久保某ほか数名の衛視は議長席周辺の混乱を整理するため、それぞれ同所につめかけたものと認められるところ、右松本の供述するごとく、もし、同人が同被告人から二度にわたり、胸または腹の辺を払われたとすれば、当然そのいずれの際にも、同人は同被告人の背後に密着し、同被告人の身体に接した位置にいたとしなければならない訳合であるが、はたして、かように多数の人が議長席につめかけ、密集している状況のもとにおいて、胸または腹の辺を払われたからといつて、背後の他の人に妨げられることなく、階段下まで転落するというようなことが、通常ありうることであろうか。また、仮に、これがありうるとしても、一旦階段下まで転落しながら、再び密集した人垣をかきわけて、同被告人の直後にまで戻るようなことが、はたして可能なものであろうか。少くとも、稀有なこととしなければならない。しかるに一方、右各カツトを仔細に観察してみると、右松本は、同被告人との間に、前記の衛視久保某を一人おいた背後にまで接近したことのあることは認められるが、同被告人の身体に接したことはないばかりでなく、むしろ、次第に同被告人の背後から離れて行くがごとき動作を示していることが窺われなくはないのである。結局右各カツト及び各写真に写されている場面もしくはその直後、換言すれば、同被告人が議長席周辺に位置を占め、議長に対して、後記(3) 認定のごとき抗議をし、また同認定のごとき衛視長佐藤宏に対する行為に出でていた時期において、同被告人が右松本に対し、同人の供述するごとき行為に及んだものと認めるのは、きわめて困難である。

(ii) 進んで右読売写真Aナンバー18ないし20の場面より少し遅れた時期であるとの主張に即して検討してみる。この場合、問題となるのは、同被告人において議長席から離れ、階段に至るまでの間である。それ以前においては、右(i)において考察したところと同一に帰すること、多言を要しない。しかしながら、ここで先ず想起すべきは、右(i)の場合と同様、松本が二度にわたり、階段下に転落せしめられた、と述べていることであろう。何故なら、同被告人が同人の胸または腹を払つて階段下まで転落せしめたのち、さらに同人が階段をのぼつてくるまでの間、同じ場所に踏み止まつていたとするのは、なんとしても不自然というべきだからであり、現に証人久保等の当公判廷における供述(第六六回)及び同被告人の当公判廷における供述(第六八回)によれば、同被告人は、議長席を離れたのち、そのまま議長席下の演壇のところに廻つたが、その際、格別途中で渋滞するということがごときことはなかつたことを認めうるのである。さらに、これに加えて、松本の供述するところによると、同人は、同被告人の斜後方から同被告人に対して降壇を求め、そのため、同被告人から右のように胸または腹を払われた、ということになつているところ、同被告人が議長席から離れるに際し、後退りしたのでないかぎり、同被告人の斜後方から降壇を求めるということはおよそありえないことであるし、また、元来、既に議長席を離れ、降壇しようとしているのに、さらに降壇を求めるということにも納得しがたいものがある。結局、右各カツト及び各写真に写されている場面の少しあと、ことに同被告人が議長席から離れたのちにおいて、同被告人が、松本に対し、同人の供述するごとき行為に及んだと認めうべき余地は殆んどない、といわなければならない。

(iii ) しかるに一方、証人久保等の当公判廷における前掲供述によれば、同人は議長席周辺において、議長に対する抗議のため、同被告人と殆んど行動をともにしながら(これは、前記各カツトによつても裏付けることができる)、その間、衛視もしくはその他の人物が、階段下に転落するというがごときことには、一切気付かなかつたことを認めることができる。もし松本の供述するように、同人が二度も階段下に転落したものならば、右久保議員において、いかに議長に対する抗議を目的とした行動をしていたからといつて、これに気付かないというのは、まことに不自然である。

以上詳細に検討をつくしたところに徴すると、松本の前掲供述部分中、同被告人から胸または腹の辺を払われた旨の部分及び同供述部分を裏付けるべき小貝の前掲供述部分中右松本の転倒しているのを目撃した時期、場所などに関する部分は、いずれも、それ自体矛盾を内包し、また相互に、あるいは他の証拠との関連において、重要な食い違いが存して、たやすく信を措きがたいものがある。かえつて、本件証拠の示すところに従えば、松本が議長席周辺における混乱もしくはその直後において、何人かの行為によつて何らかの傷害を受け、また、それがため昏倒するに至つたものとしても、これが同被告人の所業になるものでないことは勿論、同被告人がその際同人と接触したことすらありえなく、これに反する松本の右供述部分は、ひつきよう、同人の誤認もしくは錯覚に出でたものでないかとの疑が甚だ濃いのであつて(ことに、同人が昏倒するに至つたことは動かしがたいのであるから、その昏倒以前において認識した事柄について、記憶の混同、あるいは、一部脱落などが比較的たやすく生じうべきことは、見易き道理である)、これを要するに、公訴事実該当の事実については、到底これを確めるに足る証拠がなく、犯罪の証明がないというべきであるから、爾余の点について判断するまでもなく、無罪の言渡をなすべきものである。

(3) 公訴事実三に対応する事実関係

前記四の(一)冒頭掲記の各証拠、ことに証人佐藤宏の第四四回公判調書中の供述部分、被告人松浦の第三二回公判調書中の供述部分及び当公判廷における供述(第六八回)、NHKニユース17カツト及び同写真ナンバー18、読売ニユース66カツト及び同写真Aナンバー8ないし22に、証人砂塚由蔵の第四三回公判調書中の供述部分をあわせると、公訴事実該当の事実を一応認めることができる。そこで、以下、その動機、目的、態様など、詳細について考察しておくこととする。

右各証拠によれば、次の事実が明らかである。すなわち、同被告人は、前記四の(三)の(1) において考察したとおりの経過で、当時事務総長席に着席していた河野事務次長に対し、暫時抗議し、また、その際、瞬間的なことではあつたが、右事務総長席の机上にあつた書類をかき廻すという所業にまで及んだのち、同次長が、被告人亀田の椅子をはずすという動作によつて、右事務総長席を離れるのをみて(尤も、被告人松浦はこれが、被告人亀田の右動作によるものであることに気づかなかつたこと右四の(三)の(1) において認定したところである)、折柄議長席にあつて議事を主宰していた松野議長に対しても、右河野事務次長に対すると同様、当時審議参加の機会もしくは表決権行使の機会が不当に奪われたものと信じ込んでいたところから、元来本会議の開会に際しては、定足数の充足は勿論、各会派の出席状況なども確めたうえ、開議すべきなのに、これをせず、振鈴後通常の慣行に反した短かい時間内に開会を宣し、かつ、直ちに議場閉鎖にまで至つたことについて抗議し、かつ、休憩を進言してとりあえず議事の中止を求めようと考え、直ちに事務総長席の前から、演壇を通つて、議長席東側に廻わり、「このような会議はやめなさい」「休憩しなさい」などと大声で発言しながら、議長席に接近しようとした。一方、これと時を同じくして、議場北側西入口で、同入口を警衛し、社会党議員及び同党秘書などと押し合いあるいは揉み合いをした衛視が、同党議員において右入口からなだれ込むようにして入場したことにともない、北側東入口に廻つて、同入口から議場内に入り、議長席、事務総長席周辺に駆け寄つてきた。ところで衛視長の資格をも具えた警務部警務課長補佐の前記佐藤宏は、これより先、既に議場に入場し(その入場の時期及び経過については、前記四の(一)の(1) において認定したとおり)、東側参事席後方西寄りの所定の席についていたが、右入場後、間もなく、社会党議員が北側西入口からなだれ込むようにして入場してくるのを目撃し、直ちに席を立ち、議長席周辺警護のため、議長席東側に走り寄り、折柄議場内で勤務し、あるいは、右のようにして北側東入口から入場してきた(そのいずれであるか確かめることができない)衛視三名とともに、議長席を取り囲むような体制をとつて佇立し、同議長の具体的な指揮をまつて待機した(その状況はことに、読売写真Aナンバー8、9及び同ニユース66カツト中のこれに対応する場面によつて確かめることができる)。そのため、同被告人が議長席周辺にまで近付いた際には、既に松野議長は右佐藤ほか三名の衛視によつて囲まれ、その身辺にまで至つて直接対話し、抗議あるいは休憩の進言をすることが事実上困難な状況となつていた。しかし当時議場内は喧騒をきわめ、同被告人の前記発言も、はたして同議長の耳に達しえたか否か甚だ覚束かなく感じられるほどであつたため、同被告人は、同議長の身辺に接近し、自己にその注意を向けさせたうえでなければ、目的をとげがたいもの、と突嗟に判断し、右佐藤の背後から同人に抱きつき、同人を議長席脇から引き離して、自己が同人の位置にとつてかわろうとした。しかるに、同人は、同被告人から右のようにして抱きつかれるや、万一の事態をも慮り、また、混乱が生じた場合、勢いの赴くところ、議長席机上のマイクや書類が散乱し、あるいは議長席の椅子が動かされるなどのことがあることをおそれて、議長席周辺の警護をつづけるため、議長席脇から引き離されまいとして、右議長席椅子の左側肘掛附近にしがみついたので、同被告人はさらに、同人に、「どきなさい」、といいながら、その左肩や後襟首辺に手をかけるなどして、同人を引き離し、あるいは横に押しのけようとの所業に及び、なおも同議長に接近しようとした。これが公訴事実該当の事実である。しかし、その間同被告人は同議長に対しても、終始一貫して前記と同趣旨の発言をし、抗議をつづけたが、時として、同被告人の方を振り向いた同議長の視線をとらえ、右佐藤の肩越しにではあつたが、同議長と対話を交わし、その意図したところを伝えたこともあつた(以上は、ことに前記各カツトによつてその状況をみることができる)従つて、同被告人が右の間継続して、右佐藤に対し右のごとき所業に及んでいたというわけではなく、むしろ、同被告人の注意は専ら同議長に対して向けられていた。また、その頃、社会党所属議員である前記久保等も、同被告人と同様、同議長に対して抗議しようとの気持から、やはり議長席周辺に駆けつけ、同被告人の左斜後方附近に位置し(なお、同議員は、やはり、右佐藤に対して、その左肩、後襟首、などに手をかけ、同人を議長席脇から引き離そうとする行為に出てたが、その行為は、全体としてみれば、同被告人の右佐藤に対するそれと、殆んど径庭なきものである)、さらに、議場内勤務の衛視、あるいは、前記北側東入口から入場した衛視もその場につめかけ、ここに議長席東側は、これら多数のものが密集して甚しく雑踏し、混乱が生じたが、同被告人自身、この雑踏を背後にして押され、あるいは腰のバンド辺をつかまれて引つぱられるなどしたこともあつた。そして、この腰のバンド辺をつかまれて引つぱられた際には、同被告人が、偶々、右佐藤の後襟首附近に手をかけていたときでもあつたので、短時間ではあるが、自己の態勢を維持し、後方に引き離されるのを妨ぐため、自然右佐藤の後襟首を手前に引く結果となつた。すなわち、同被告人が右佐藤の後襟首を引つぱつたのは、一部このような原因も存したのである。

そこで、叙上認定にかかる同被告人の行為が犯罪となるかどうかについては、後記において考察することとする。

(四) 被告人清沢の具体的な行為

前記四の(一)冒頭揚記の各証拠、ことに、証人佐藤吉弘の第四四回公判調書中の供述部分、同河野義克の当公判廷における供述(第六〇回)、同人の検察官に対する六月一三日付供述調書第五項、被告人清沢の第三二回公判調書中の供述部分及び当公判廷における供述(第六八回)、検察官作成の検証調書、NHKニユース3カツト及び同写真ナンバー2ないし12によれば、被告人清沢が他の社会党議員とともに北側西入口から議場内になだれ込むようにして入場するに至るまでの経過は、同被告人の振鈴当時待機していた場所が社会党控室であつたこと及び同被告人は右入口から被告人亀田、同松浦よりかなり遅れて入場したこと以外は、被告人亀田の場合と全く同様であつたことを認めることができる。

そして、本件において被害者とされている右河野の当公判廷における供述及び検察官に対する供述調書中、「議場西側大臣席附近で被告人清沢から右頬を一回殴打された」旨の部分に、右カツト中、卒然として観察すると、あたかも同被告人がその左手拳で同次長の顔面を殴打しているかのごとくに疑われる場面の存することをあわせると、公訴事実該当の事実は、一見容易にこれを肯認しうべきもののごとくであり、従つて、検察官は、これについて、弁解の余地がないほど明白である、と主張する。しかるに、一方、同被告人は、当公判廷において、右事実ことに犯意の存在について終始一貫否認し、「同次長を殴打したというような覚えは一切ないが、もしそのようなことがあつたとすれば、私が同次長と向い合つて抗議をしていた際、大臣席の椅子につまづくか、あるいは周囲の人に押されるかして、同次長の方に倒れかかり、私はそのまま床に転倒したことかあるが、そのときの偶発的な出来事であると思う」旨供述し、しかも、その供述態度には真実味にあふれるものがあつて、あながち、弁解のための弁解とのみは見受けられない。ところでもし、検察官主張のごとく、およそ弁解の余地がない、というほどに明白なものならば、同被告人が、それにもかかわらず、かように弁解がましい供述に終始しているのは何故であろうか。およそ、被告人が証拠の外形上一応明らかと目される事実について、なお否認、抗争するのは、もとより、被告人において悪質であるか、または事理を弁えない愚昧のためである場合も存するであろうが、反面それが真実に合致し、かつ、その真実を自己のみが知るが故に証拠の外形など一切顧慮することなく、あえて否認するという場合も存するのである。

そこで、以下、最も客観的な証拠である右カツトを、先にも一言したように、通常の映写方法によるほか、一齣ずつ、あるいは緩速で、さらには逆転して、映写し、仔細に観察してみると(なお、その被写人物の特定は、被告人清沢及び証人として当公判廷に出頭した右河野の容貌、体格によつて、これを行う)、被告人清沢は、北側西入口から議場内に入場したのち、西側大臣席と同参事席の間で、被告人亀田を含む数名の社会党議員に取り囲まれ、抗議や交渉を受けている河野事務次長の方に駆け寄り、同次長の身辺に近づいたが、その際の同被告人の恰好は右手を前に出し、前のめりとなつた姿勢で、倒れ込むようにして、数名の社会党議員の間に割つて入つた、と目されるもので、そのため、右社会党議員の一人は、同被告人に押し倒されるがごとき状態となり、その姿が画面から消え、再び見出しえなくなる。そして、同被告人は、そのままなだれこむようにして、右手を同次長の胸にあてた恰好で同次長に倒れかかり、同次長は同被告人のこの動作に応じて、同被告人と身体を接した状態で、大臣席に仰向けに倒れかかつた態勢となり、結局、同被告人からその意思如何は別として押倒されたような結果となる。以上の場面が、一瞬のうちに連続するのである。そこで右各場面をこれとは別の角度からみると、同被告人が、右のようにして、同次長に接近した際、同被告人の背後から、やはり数名の社会党議員が、きびすを接するがごとき有様で同次長に近づくが、この数名の議員のうち、眼鏡をかけている人物(仮に甲議員と呼ぶ)は、同被告人が同次長に倒れかかる直前まで、同被告人の背に片手あるいは両手をあてて前に進む、という行動を示しており、この間の状況からして、同被告人の背を押しているのではないかとの疑が濃い。この甲議員は、同被告人が同次長に倒れかかる態勢となつたとき、同被告人の背後から横の方に移動するが、その直後、甲議員の後を追つて同次長の方にきた小肥りの人物(仮に、乙議員と呼ぶ)が、右甲議員にかわつて同被告人の背後に位置を占め、右のように倒れかかる態勢で姿勢が低くなつた同被告人に密着して、一見おおいかぶさつたような恰好を示している。そして、その直後、同被告人の左手拳(尤も、これが完全に握りしめられた手拳か、そうでないかまでは到底確かめることができない。以下、左手拳という場合これに同じ)が同次長の顔面にあたつていると目される場面があらわれるのである。同場面においては、同被告人の左手は、円弧をえがいて動かされており、この左手の動きをみるかぎりでは、同被告人に同次長を殴打する意思が存したのではないかと疑われなくはない。尤も、同次長の顔面にあたつているのは、同被告人の左手拳背部の手首寄りのところでないか、とも目され、もしそうだとすれば、その左手の動きが画面上右のように見受けられるにもかかわらず、なお、同被告人に殴打しようとの意思があつたか否か疑問を容れる余地なしとしない。そして、右場面の直後、突如として同被告人の姿が画面から消え、再び見出すことができなくなる。尤も、右場面に引きつづく場面において、同被告人らしい人物が同次長の方を向き、後退りに、一見後方に、倒れかかるような恰好で、同次長を取り囲んでいた社会党議員二名位を背中で押し飛ばすようにして、西の方、すなわち、議長席、事務総長席の方に退つて行つたかのごとくにも見受けられなくはないが、それが同被告人であるかどうか、また、もし同被告人だとすれば、どのような原因から、そのような不自然な動作をすることになつたのかなど、一切確かめることができない。従つて、この場面をみるかぎり、同被告人がその場で床に転倒するなどしたため、同場面から忽然姿を消したのではないかとの想定を容れる余地なしとしない。

以上のとおりの状況であつたことが看取されるのである。

そこで、以上の観察、ことに、同被告人が、前記甲と仮称した議員によつて、背中を押され、前のめりの姿勢で同次長に倒れかかり、また、その態勢で前記乙と仮称した議員によつて、おおいかぶさられるような状態となり、かかる状態で、その手拳が同次長の顔面にあたつていること、しかも、その際右手拳背部の手首寄りのところが同次長の顔面にあたつたのではないかとの疑問が存すること、その直後、同被告人は、その場で床に転倒するか、もしそうでないとしても、後方に倒れかかるような不自然な態勢で、背後の社会党議員二名位を押しとばすがごとき勢を示して、同次長の周辺から後退りに離れたものと認められることなどの事実に、同被告人の前記供述によつて明らかに認められるところの、同被告人が元来右利きであるうえ、幼時左手の肘部を負傷したため、爾来左手を真直ぐに延ばすことができず、また青年時左手の人差指をくだいたため、完全な拳をつくることができない状態となり(同次長の顔面にあたつた同被告人の左手拳が、完全に握られた拳か、そうでないか確定できないこと、前記のとおり)、通常の力仕事などの際には、無意識のうちに右腕を用いる習癖かある事実、及び証人大倉精一の当公判廷における(第六五回)、NHK写真ナンバー10ないし12に相当する時期のその場の状況は、皆がゆつくり倒れていつたという状況で、その際同証人が同被告人と接近した位置にいたが、同被告人が同次長を殴打したというようなことは目撃していない旨の供述をあわせ考えれば、同被告人の前記弁解は、あながち不合理なものとして排斥することができず、かえつて客観的な裏付けがあるもの、というべきである。そして、もし、右弁解にして真実に合致するものとすれば、同被告人は、同次長に対して、積極的に、何らかの不法な攻撃を加えようとの認識を具有していなかつたものとすべきは、当然の筋合である。

そうすると、前記カツトにおいて、同被告人の左腕が円弧をえがいて動いているかのごとくに見受けられること、被害者である同次長がこれを殴打されたものと感じたことなど、なお疑を容れるべきふしの存することは、これを否定しえないが、叙上考察してきたところに照らし、これが同被告人において転倒した際の偶発的な出来事でないと断ずるには、なお逡巡せざるをえないものがあり、すなわち、これを要するに、本件証拠上公訴事実該当の事実は、一応外形的に認めることができるが、その犯意の存在を首肯せしめるに足る証拠なく、結局、犯罪の証明不充分というに帰するものとしなければならない。従つて、爾余の点を判断するまでもなく、無罪の言渡をなすべきである。

五  被告人亀田に対する公訴事実三について

(一) 混乱発生に至るまでの経緯とその概況

証人藤田進の第二八回、同荒木正三郎、同岡田宗司の第二九回、同長島安五郎の第三六回及び第五八回、同佐藤宏の第四四回、同伴侃爾の第五八回、の各公判調書中の供述部分、松野鶴平の検察官に対する一〇月九日付供述調書第六項、伴侃爾の検察官に対する七月二四日付供述調書第六項、被告人亀田の第三二回公判調書中の供述部分及び当公判廷における供述(第六八回)、押収してある官報号外四部(昭和三七年押第一二二号の四)のうち昭和三一年五月三〇日付及び六月二日付のもの、同じく官報号外の写一部(但し、昭和三一年六月三日付のもの、同押号の一二)、先例録(一)及び(二)(同押号の一六及び一七)、参議院衛視必携(同押号の一五)を総合すると、右公訴事実に関連する混乱発生に至るまでの経緯とその概況は、次のごときものであつたことが認められる。

既に第一の三の(三)の(4) において概観したごとく、六月二日は、一旦午前零時一〇分開議され、午前一時五九分休憩となつたのち、午前三時頃、警察官五〇〇名位が議長の内閣に対する派出要請によつて参議院内に出動し、議院内部における秩序保持にあたるという憂慮すべき事態にまで至つた。そして、午前三時四五分本会議が再開されて、午前四時七分再び休憩に入つたが、その後、午前四時四七分再開された本会議において、右公訴事実に関連する混乱が発生したのである。

すなわち、右本会議においては、先ず、前日の六月一日に社会党所属議員江田三郎から提出された前記芥川事務総長不信任決議案についての本案の採決がなされたのち、若干の議事経過を経て、午前八時三〇分頃、やはり同党所属の議員森下政一から委員会審査省略要求書(国会法第五六条、参議院規則第二六条)を附して、当時松野議長の疲労による本会議欠席のため、同議長に代わつて、議事を主宰していた寺尾副議長に対する不信任決議案が提出された(なお、決議案は、委員会審査省略書を附して提出され、要求どおり委員会審査を省略するのが例となつている、先例録(二)二〇九例参照)。ところで、かように副議長の信任に関する議事は、元来、議長がこれを行なうが、議長に事故があるときは、仮議長を選挙し、仮議長が議長の職務を行なうことになつており、この仮議長の選挙については、議長選挙の例に従い事務総長が議長の職務を行なうこととされているため(国会法第二二条)、その際本会議に参席し寺尾副議長の議事主宰を補佐していた芥川事務総長において議長席につき、単記無記名投票をもつて(参議院規則第四条)、仮議長の選挙を開始したのであるが、右投票の執行中、松野議長が疲労回復したとして、本会議に出席し、同議長において議事を主宰することとしたため、右仮議長の選挙は当然中止されるに至つた。すなわち、同議長の出席後、同総長においては直ちに、議長の出席により仮議長の選挙を中止する旨告げて議長席を退き、これに代わつて、同議長が議長席に着席したのであるが、同議長は、着席するや、同議長において議事を主宰すべきことを明らかにし、従つて、仮議長の選挙が不要に帰したのでとりやめる旨告げたうえ、右副議長不信任決議案は一事不再議の原則により、これを上程しない旨宣した。この一事不再議の原則とは、同一会期中に既に議院の議決のあつたものと同一の問題を再び審議しえないことをいい、後記において考察するように、どの範囲までこの原則を認めるかは、実際問題としては、結局国会ないし各議院の自主的解決に委ねるほかないものであるが、同議長において、右副議長不信任決議案が一事不再議にあたるとしたのは、第一の三の(三)の(1) で概観したごとく、これより先、五月三〇日午前九時四一分開議の本会議において、同じく寺尾副議長の不信任決議案が提出され、本案の採決に付されて否決された、という経過が存したことによるものである。そして、同議長は、これにひきつづいて、教育二法案について文教委員長の中間報告を求める動議を議題として供し、この動議を記名投票をもつて採決する旨宣して、議場閉鎖を命じた。

この寺尾副議長不信任決議案を一事不再議にあたるとした同議長の措置に対しては、自民党議員のなかには、社会党側の審議ひき延ばし戦術を排除する適切な措置であるとして拍手をもつて迎えるものもいたが、一方、社会党議員の方では、同決議案は同議長の出席する以前に既に議題に供され、仮議長の選挙が行われていたのであるから、同議長の出席によつて仮議長の選挙をとりやめることについてはともかく、いかに議長の職権に属することとはいえ、同決議案そのものをも廃棄することは相当でなく、また同日提出の右不信任決議案の提案理由は、寺尾副議長に対して、同日早朝における警察官の国会内導入について、議長の職務を代行すべき副議長としての責を問う、というものであつて、五月三〇日の本会議におけるそれが、同日、同議長が議長室において社会党顧問松本治一郎ほかの社会党側代表議員と、議事運営に関する拾収策について懇談中、同副議長において、自民党側の意を迎え、議長の職務を代行すべき場合でなかつたのに、議長席について開議を宣した、との社会党側の認識を基盤として「同副議長は自ら進んで自民党の意を迎えることに終始して、議長をして公平無私なる国会運営を誤らしめた」(昭和三一年五月三〇日付官報号外の記載による)というものであつたのと対比し、明らかにその理由を異にするものであり、従つて元来一事不再議の原則の適用はないのに、これが一事不再議にあたるとしたことは、明らかに、当をえないものである、と考え、大声で発言するなどして、抗議したほか、自民、社会両党議員において離席するものが多く、ここに、議場内は騒然たる状態に陥つた。そして、その際、被告人亀田を含む数名の社会党議員は、同議長において副議長不信任決議案を上程しない旨宣するや、直ちに離席し、議長席周辺に至つて直接同議長に抗議し、かつ、その措置の是正を求めようとの気持から、議長席前の演壇、あるいは議長席横などに駆け上り、同議長に鋭く詰寄つた。しかも、これに加えて、社会党側からは、その間、急遽同議長の右措置を不当とし、かつ、同日早朝なされた警察官の国会内導入についての責を問う、との趣旨で、同議長に対する不信任決議案を、委員会審査省略要求書を附して、文書によつて提出するに至つたが、同議長は、これを格別顧慮することなく議事を進めたため、社会党議員の側においては、この議長の議事指揮に関しても、元来同決議案のごとき会議の構成に関する議事は、慣例上先議案件とされているところから、慣例を無視した不当なものと感じ、これについても、その先議を求めるとの趣旨の発言をして抗議するに至り、右のように議長席周辺に詰寄つた被告人亀田を含む数名の社会党議員も、また、当然これに同調した。なお、右議長不信任決議案の提出されたのは、かように、同議長出席後、僅かの時間のうちに引きつづいて議事進行がなされた間で、前記議場閉鎖後教育二法案について文教委員長の中間報告を求める動議の採決が開始された直後である。

ところで、一方、これより先、当時議場内で服務していた衛視のうち、衛視長の資格をも具えた前記佐藤宏、同じく衛視長である前記伴侃爾、衛視班長である前記小林某及び同じく衛視班長である長島安五郎は、事態の成行をみて、突嗟に、議長席周辺の警護のため、同被告人を含む数名の社会党議員よりも僅かに早く議長席附近に駆けつけたが、同被告人らにおいて議長席附近に至り、前記のような抗議をするに及び、両者の間に、若干の混乱が生じた。なお、この混乱は、その直後、同日早期から参議院内に出勤していた警察官のうち、二、三〇名が議長の指示によつて議場内に入るという、同院において、かつて前例をみない事態にまで至つたことに伴い、自ずから収束された。

(二) 同被告人の具体的な行為

前項冒頭掲記の各証拠、ことに、証人長島安五郎の第三六回及び第五八回、同佐藤宏の第四四回、同伴侃爾の第五八回、の各公判調書中の供述部分、同人の検察官に対する七月二四日付供述調書第六項、被告人亀田の第三二回公判調書中の供述部分及び当公判廷における供述(第六八回)、参議院衛視必携をあわせると、公訴事実該当の事実を一応認めることができる。そこで、以下、その動機、目的、態様など詳細について考察しておくこととする。

右各証拠によれば、次の事実が明らかである。すなわち、同被告人は、松野議長が前項認定の経過によつて議場に出席するに至つた際、議席にあつたが、同議長において、前記寺尾副議長不信任決議案を一事不再議の原則により上程しない旨宣するや、他の社会党議員数名とともに、前項認定にかかるごとき目的から、直ちに離席して、議長席西側に赴いた。一方、衛視班長である前記長島安五郎は、これより先、議場南側東入口附近で議場内衛視として、同入口の立番をしていたが(参議院衛視執務要領第四条第一、一及び二)、同議長の出席後、議場内が騒然とするに及び、予て議場内衛視は、議場で服務中に議場内勤務の衛視長が議長席附近に行くようなことがあつた際には、当然衛視長に随従し、議長席周辺の警護にあたるようにとの包括的な指示を受けていたところから、右入口と南側西入口の中間附近で勤務していた当時の議場内衛視の責任者である衛視長の前記伴侃爾が、議長席附近に駆け寄つたのをみて、直ちに、同衛視長の後を追い、議長席西側に走り寄つて、同衛視長及び前記佐藤宏、小林某などとともに、議長席を取り囲むようにして佇立し、同議長の具体的な指示をまつて、待機した。そのため、同被告人が議長席周辺に近ずいた際には、既に同議長は右長島などによつて囲まれ、その身辺にまで至つて直接抗議し、また、同議長のとつた前記措置の是正を求めることが事実上困難と思われ、しかも、これに加えて、右長島は、議長席前演壇附近に駆け寄つた社会党議員のある程度動作をまじえた抗議によつて議長席机上のマイクなどが動かされるのを押えて議長の方に引きもどしたり、あるいは議長席後方からの社会党議員の同じく抗議に伴う動作や前記衛視との間の若干の混乱によつて議長の椅子がゆり動かされるのを防ぐなどするため、議長席に身を寄せ、机上におおいかぶさるような姿勢をとつたので、同被告人において、同人を避け、あるいは退かせて、同議長の注意を自己に惹き、直接対話することを望むべくもない状況となつた。しかし、同被告人は、かくては、同議長に対する抗議ないしその措置の是正を求める進言も、議場内の喧騒にとりまぎれて回議長の耳に達しがたく、また、いかに発言をつづけても同議長に無視されて、とりあわれないおそれもある、と突嗟に判断し、右長島の制服の後襟首附近をつかんで二回後方に引き、同人を議長席横から引き離して、自己が同人の位置をとつてかわろうとした。これが公訴事実該当の事実である。しかし、同被告人は、その直後、前記伴衛視長から「先生よして下さい」と口頭で制止されたので、直ちに右長島の後襟首から手を放し、同人に対して格別それ以上の行為に出でることもなく、みずからその場を離れたが、以上は殆んど瞬間的な間になされたものである。そして、間もなく、前項認定のごとく、警察官二、三〇名が議場内に入り、その警備についたことにより、議長席周辺における右混乱自体も、さほど長時間にわたることなく自ずから収束された。

なお、弁護人は、松野議長の出席後、警察官が議場内に入るまで、ごく短時間であつて、その間に右認定のごとき混乱の生じたことはない旨強く主張し、同主張に沿う趣旨の証人荒木正三郎(第六二回)、同秋山長造(第六四回)、同加瀬完(第六五回)の当公判廷における各供述を援用し、また、同被告人も、これに呼応するごとくに右長島に対して、右認定のごとき行為に出でたことはない旨弁解しているので、以下若干証拠説明を加えておく。右各証人の供述は、これを仔細に検討してみると、前掲各証拠、ことに、前記昭和三一年六月二日付官報に「″席に着け″″全然わからない、議長、わからない″と呼ぶものあり、その他離席するもの、発言するもの多く議場騒然、聴取不能」なる旨の記載があることと対比し、また、その供述全体を通じ容易に看取されるごとくに、右各供述には、時日の経過によつてその記憶がかなり損なわれているのではないかと疑われるふしの存することに徴し、当裁判所の心証をたやすく惹くものでなく、また、同被告人の前記弁解も右同様の理由、さらには、同被告人自身「議席から立つて大声で発言を求めたが、それではとても駄目だと考え、他の議員と一緒に議長席の方へ行つた」(第三二回公判調書中の供述部分)とか、あるいは、「警察官が議場内に入つたことによつて、一瞬議場内の様相が一変したとの記憶が強く、そのため、警察官が議場内に入場した際にはさほどの混乱はなかつた筈、との気持があるので、前記長島に対しどのような行為に出でたか記憶が失われたのかも知れない」(第六八回公判期日における供述)とか、ややあいまいともとれる供述をもしていることにかんがみ、所詮未だ採りうべきものでない、といわなければならない。従つて、弁護人の右主張を排し、前叙のとおり認定した。

そこで、叙上認定にかかる同被告人の行為が犯罪となるかどうかについては、後記において考察することとする。

(叙上認定の事実関係に対する当裁判所の判断)

本件各公訴事実のうち、被告人岡に対する公訴事実一及び二 同松浦に対する公訴事実二 同清沢に対する公訴事実、以上については、それぞれ、公訴事実該当の事実を認めるに足る証拠がないか、あるいは、一応外形的にこれを肯認しえても、その犯意の存在を首肯せしめるに足る証拠なく、結局、いずれも犯罪の証明不充分というに帰すること、既に説示したところによつて明らかである。そこで、以下においては、その余の各公訴事実につき、当裁判所の叙上認定した事実関係を基礎として、これが法的評価を試みることにする。

第一議長、事務次長及び衛視の抽象的職務権限について

右各公訴事実についての判断を進めるに先立ち、先ず、便宜上、被告人らのそれぞれの行為の相手方である議長、事務次長及び衛視の抽象的な職務権限を、本件に関連する限度で、概括的に一瞥しておく。

一  議長の職務権限

議長の権限について、国会法第一九条は総括的に、「議長は、その議院の秩序を保持し、議事を整理し、議院の事務を監督し、議院を代表する」と定めている。その権限は、法文上、広汎かつ強大であつて、これを具体的に明示した条文を憲法、国会法以下各種法規について拾つてみると、実に三〇〇ケ条にも近い。そして、これを大別すると、(イ) 議事整理に関する権限 (ロ) 議院の秩序保持に関する権限 すなわち、(i) 本会議における秩序保持に関する権限 (ii) 議院内部の警察権 (iii ) 懲罰事犯の懲罰委員会付託権 (ハ) 議院事務の監督権 (ニ) 議院代表権 (ホ) 本会議の議事に関し可否同数の際の決裁権 (ヘ) 委員会に出席し、発言する権限などである。このうち、議事整理権は、議事指揮権ともいい、議事日程の決定(国会法第五五条)などの本会議の議事の準備に関する事項、本会議の開議(参議院規則第八一条、第八三条、なお衆議院規則も概ね同様である、以下同じ)、散会、延会(同規則第八二条)、休憩、散会(同法第一一七条)などに関する事項その他本会議の議事に関する一切の事項に及び、また、本会議における秩序保持権としては、発言許可(同規則第九六条)、同禁止、取消、議員の降壇もしくは議場外退去命令(同法第一一六条、なお、先例録(二)三四〇例参照)、振鈴(同規則第二一四条)その他各汎の権限があり、その本質上、議事整理権(また、場合によつては、議院内部の警察権)と競合して行なわれる。これを要するに、議長が、本会議において、議事を統理、主宰すべき権限と職責を具有することは、いまここに、あらためて説明する要をみないであろう。

二  事務次長の職務権限

事務次長なる職制は、議院事務局法第四条に定めるところであつて、通常同職制にあるもの(事務総長が議長の同意をえて参事のなかから選任する、右議院事務局法第四条)が、国会法第二九条に定める、事務総長に事故のあるときまたは事務総長の欠けたときに事務総長の職務を行うべき参事として、予め指定を受ける慣行となつている(このことは、証人河野義克の第三五回公判調書中の供述部分によつて、これを認める)。従つて、事務次長は、当然、参事としての立場から、事務総長の命を受けて事務を掌理するほか(同法第二八条)、事務総長を助けて局務を整理し、各部課の事務を監督し(議院事務局法第四条)、さらに、事務総長においてその職務を遂行しえない事情にあるときは、これに代わつてその職務を行うべき職責がある。

そこで次に、事務総長の職務権限について瞥見する。事務総長は、一面において議院の職員であると同時に(国会法第二六条)、他面においては正副議長、仮議長、常任委員長と並ぶ議院の役員であり(同法第一六条、尤も、憲法第五八条にいう「役員」の範囲に含まれるかどうかについては、学説上争いがある)、議員以外のものから選挙によつて選任されることとなつているが(同法第二七条)、実際には、議員の動議によつて議長にその選任を委任し、議長において指命するのが慣例である(先例録 (二)六三例参照)。そして、その職務権限は、一定の場合に議長の職務を代行するほか(同法第六条、第七条、第二二条、第二三条、第二四条)、議長の監督のもとに、議院の事務を統理し、公文に署名し(同法第二八条)、また、参事その他の職員を議長の同意及び議運委の承認をえて任免する(同法第二七条)ことである。しかして、本会議開会中における事務総長の職掌は、以上に掲記した各条文及び議院事務局法第二条に徴すると、議事を統理、主宰すべき議長を補佐して、会議に関する事務を統理し、かつみずからもこれを掌ることにあるものと解される。

三  衛視の職務権限

参議院衛視の職制には、(1) 参事のなかから選任せられ、上司の命を受けて警務を掌り、衛視副長及び衛視を指揮、監督する衛視長(議院事務局法第八条)、(2)  参事または主事のなかから選任せられ、上司の指揮、監督を受けて警務に従事するとともに、衛視を指揮、監督する衛視副長(同法第一〇条)、(3)  主事のなかから選任せられ、上司の指揮、監督を受けて警務に従事する衛視(同法第一一条)、以上三種の職制があり(いわゆる衛視班長あるいは臨時衛視なる呼称は、実際上のもので、この最後の階級に属する)、結局、いずれも、参議院の秩序を保持し、議院警察の執行にあたるのを本務としている(参議院規則第二一八条、参議院衛視執務要領第一条、なお、後者の法的性質については、後記のとおり)。しかして、参議院事務局分課規定によると、同院における事務分掌として、具体的に院内における警察の執行に関する事務を掌るのは、警務部に属する警備課であり、また、その企画等の事務を掌るのは、やはり同部に属する警務課である。従つて、通常の場合における議院警察執行の指揮、命令は、正(副)議長、事務総長、事務次長、警務部長、警備(あるいは警務)課長、衛視長、衛視副長、衛視という系統によつてなされることになる。

ところで、本件において、衛視の職務権限として、検察官、弁護人双方の争点となつているのは、異常緊急事態が発生した場合、議長の指揮、命令なくして、衛視長が、その判断で、部下である衛視副長、衛視を指揮して、臨機の措置をとることができるかどうかであり、ことに、本会議開会中の議場内におけるそれが問題となつている。すなわち、検察官は、議場内にあつては、すべて議長の指揮、命令に従うのが原則であるが、例外的に、議長の指揮命令を伝達できない場合あるいはこれを伝達するいとまのない場合など異常緊急な事態が発生した際には、議場内の混乱を回避し、あるいは、議員その他のものの生命、身体の安全、自由の確保といつたがごときいわば議場内の平和保持のための一般的な事柄については、衛視長が、その判断するところに従い、臨機の処置をとることができると主張し、その根拠として、事務総長が部下職員に対する議院事務局法第二条による指揮、監督権に基づいて定めた服務規定と目すべき(このことは、二見次夫作成の「参議院衛視執務要領の制定経過について(回答)」と題する書面によつてこれを認める)参議院衛視執務要領第四条第一の五に「その他議場内の取締りについては、すべて衛視長の指揮に従う」との規定があり、また、右執務要領と同様の法的性質を有するものと考えられる参議院衛視服務心得には、その第六条に「職務執行にあたつては、事の軽重、緩急を計つて臨機の措置を誤らぬようにしなければならない」と、第一〇条に「非常事態に際しては迅速、果敢に身をもつて処理にあたらなければならない」と、それぞれ定められていることを挙げ、一方、弁護人は検察官の右主張に反駁を加え、結局、人の生命、身体に重大な結果を、招来するおそれのあることが明らかに看取され、緊急止むをえない場合を除いては、衛視長が、その判断で、臨機の処置をとることはできない旨主張している。そこで、以下、この点についての当裁判所の判断を示すことにする。

先ず、国会法第一一四条に定める議長の行なうべき内部警察の権とは、ひつきよう、通常の特別権力関係におけるそれと同様、議員、傍聴人その他すべて議院内にある者が、院内に立ち入ることによつて、管理権者の維持する議院の紀律に服従すべき特別の法律関係に立つということにほかならず、帰するところ、国会の最高機関たるの地位に由来する議院の独立な管理権に基づくものである(尤も、国会法第一一五条、参議院規則第二一九条によれば、議長は、警察官の派出を要求し、これを指揮することができ、また、議場内にあつては、警察官による現行犯逮捕についても特別な監督をなしうるのであるから、一見通常の管理権に基づく営造物警察と異なり、いわゆる警察権をもあわせ行なうかのごとくであるが、もとよりこの場合にあつても、議長が、公安委員会または警視総監の権限を代行するわけではない)。従つて、この意味において、議院内部の警察権が、窮極においては、議院を代表し、その紀律、秩序を保持すべき権限のある議長に帰属することはいうまでもなく、衛視(また場合によつては警察官)は、この議長の議院内部の警察権を執行し、具体的に警察に従事するに過ぎない。このことは、前掲国会法第一一四条が「各議院の紀律を保持するため、内部警察の権」は「議長がこれを行う」と規定し、また、この規定を受けた参議院規則第二一七条が「議長は衛視及び警察官を指揮して、議院内部の警察権を行う」と定め、一方、これに対し、衛視及び警察官の職務を明らかにした同規則第二一八条が「衛視は、議院内部の警察を行う、警察官は、議事堂外の警察を行う」と定めていることに徴しても明らかである。そうだとすると、衛視(この場合衛視長というも同じ)が、議院の管理権者であり、紀律秩序の保持権者である議長の指揮、監督なくして、その独自の判断によつて、議院警察に従事することのできないのは見易き道理である。しかしながら、以上説示したところは、衛視が、その職務を行うに際し、ことごとに具体的な議長の指示、命令を待たなければならない、という結論を導くものでないことは勿論である。すなわち、議長がその議院警察権を行使するにあたつては、事柄の性質上、概括的になされることが多いであろうことは当然予想されるところであり、これが前記指揮命令系統に従つて漸次具体化されることはもとより、衛視に対しても、予め包括的、一般的な指示命令がなされ、衛視が、その職務を執行することについては、この包括的、一般的な指示、命令に基づいて行動することを豪も妨げるものでなく、従つて、その際、衛視において、個々的に、その職務を執行するに必要な条件である具体的事実の存否、法規あるいは依拠すべき包括的、一般的な指示、命令の解釈、適用を判断、決定すべき権能のあることはいうまでもないところであつて、検察官指摘の参議院衛視執務要領、同服務心得のごときは、包括的、一般的な指示、命令として、その服務の基準ないし指針を示したものと解されるのである(なお、証人河野義克の当公判廷における供述――第六〇回――によれば、議院警察執行の実際も叙上説示に沿うもので、具体的には、衛視長が、予めなされた包括的、一般的な指示、命令に従い、部下の衛視副長、衛視を指揮、監督してその衝にあたるのが通常の運営となつていることが認められる)。

尤も、本件において最も問題となつている本会議開会中もしくはこれに接着した時期における議場内衛視の職務活動については、なお別個の観点からの考察をも加えておかなければならない。けだし、本会議開会中もしくはこれに接着した時期においては、会議を主宰すべき議長の会議における紀律、秩序保特権が、その議事整理権と競合して、第一次的に及ぶからであり、警察の具体的な執行についても、あげて議長の判断に委ねるのを相当とするからである(なお、ここに「議長」というのは、必ずしも参議院議長を意味するのではない。議長、副議長、仮議長、さらには、場合によつては、事務総長、事務次長であつても、その際の会議の主宰者が、ここでいう「議長」である。この点において、議院警察権が元来議長に属し、副議長がこれを行うことがあつても、それは議長の権限を代行するというに過ぎない一般的な場合と異なる)。参議院規則第二一九条がが、その本文において、議院内部で現行犯人のあるときは、衛視または警察官はこれを拘束し、議長に報告してその命令を待つべきことを定めながら(このことは、議院警察権が議長に存することの当然の帰結である)、その但書において、議場では議長の命令を待たずに拘束することができない旨規定しているのも、その故である。これは、元来現行犯人の逮捕は、何人といえども逮捕状なくしてこれをなしうるのであるが(刑事訴訟法第二一三条)、本会議開会中もしくはこれに接着した時期の議場内においては、これをしも議長の判断にかからしめるのが適当であるからにほかならない。しかしながら、だからといつて、本会議開会中もしくはこれに接着した時期の議場内においては、予め事前になされた指示、命令に基づいて行動することが全く許されないとまで解すべき合理的な理由はない。現に、参議院衛視執務要領においても、一般的な服務態度については勿論(第四条第一の二)、議場閉鎖、同開鎖(同九(イ)、(ロ))、祕密会の宣告(同四)など、議事経過上当然予想さるべき範囲の事柄について、服務の基準、指針、その採るべき具体的な行動を明らかにしているのである(尤も、検察官指摘の同五は、「衛視長は衛視副長及び衛視を指揮、監督する」との議院事務局法第八条、「衛視は上司の指揮、監督を受けて警務に従事する」との同法第一一条などを受けた規定で、包括的な権限委任の規定でないこと、その文意自体に徴し明らかである。また、参議院衛視服務心得の各条文は、一般的な場合の服務心得を示した規定で、特に本会議開会中もしくはこれに接着した時期の議場内における衛視の職務活動の基準ないし指針を定めたものとは解されない)。そこで、本件についてこれをみるに、本件各公訴事実中、衛視の職務行為の適法性を検討しなければならないのは、被告人亀田に対する公訴事実三における衛視班長長島安五郎、同松浦に対する公訴事実三における衛視長佐藤宏の各行為のみである。しかるところ、証人長島安五郎の第三六回及び第五九回、同佐藤宏の第四四回、の各公判調書中の供述部分、同河野義克の当公判廷における供述(第六〇回)によれば、当時参議院においては、本会議開会中もしくはこれに接着した時期の議場内でも、降壇命令など秩序回復のためのいわば積極的な阻止行為については、明示かつ個別的な議長の指示、命令があることを要するが、通常一般的な事柄については、事前の指示により、前叙した指揮、命令系統に従つて、秩序維持のための行為ないし警察の執行をするのが実際の運用となつていたところ、本件当時における緊迫した院内の情勢にかんがみ、警務の実際を掌る最高責任者である警務部長佐藤忠雄から議場内で緊急事態の起つた場合には即応の措置をとれ、との指示がなされていたことを認めることができ、この指示は、ひつきよう、議長の命令権の具体化と目されるから、警務課長補佐であり衛視長でもある佐藤宏において、混乱の惹起が当然予想さるべき状況に徴し、みずから、また、衛視班長である長島安五郎において、予て議場内で勤務中衛視長が議長席、事務総長席の方へ行くときは随従するように、との指示を受けていたところより、その際議場内における警備責任者であつた衛視長伴侃爾の指揮に従い、同衛視長の後を追つて、それぞれ議長警護の目的のもとに、議長席周辺に至り、秩序保持に関しての議長の個々的な指示、命令を待ち、あるいは、事態に即応して、議長の面前において、格別その制止を受けることもなく、議長の椅子がゆり動かされ、机上のマイクや書類などが散乱するのを手で押えるなどして妨ぐことは、議長の指示、命令に基づく適法な職務行為として許容されるものと解するのが相当である。

第二構成要件該当の有無

一  被告人亀田に対する公訴事実一に対応する事実関係について

右公訴事実に該当する被告人亀田の具体的な行為として当裁判所の認定したところは、同被告人は、河野事務次長が議場南側東入口から入場して、議場北側壇上の事務総長席に赴こうとした際、議場東南隅において、同次長の前に立ち塞がり、両手で同次長の腰のバンドをつかんで、同次長の前進を制止しようとした、ということである。

しかして、その際、同次長は、本会議開会の場合、議長を補佐して会議における事務を統理すべき事務総長の職務を代行するため議場に入場し、事務総長席へ赴こうとしていたのであるから、未だ現実には職務の執行に着手していないいわ準備的段階にあつたとはいえ、これが職務の執行に接着し、まさにその職務の執行に着手しようとしていたときであることは、既に明らかであり、従つて、同被告人の同次長に対する右行為は、全体として、その外形上、公務員が職務を執行するにあたり、これに対して暴行を加えた場合に該当し、公務執行妨害罪の構成要件を充足するものというべきである。

弁護人は、同次長の右入場当時、芥川事務総長は事務総長室におり、議場に入場して事務総長の職務を執行しようと思えば、これをなしえた筈であるから、同総長に事故があつたということはできず、従つて、同次長は、事務総長の職務を代行しうべき場合でなかつたのに、あえてこれを代行しようとしたものであつて、その職務の執行は違法である旨主張する。しかしながら、元来、国会法第二一条(副議長の議長代行)あるいは第二九条(参事の事務総長代行)にいう「事故があるとき」とは、代行さるべき議長もしくは事務総長において、その職務を行いがたい正当な事由があるとき、との謂であつて、病気、公用などのため職務を行うことができない場合は勿論、職務代行を相当とする事由のある場合(例えば、本会議が長時間にわたり、疲労防止の必要があるなどのごとき)も、ここにいう「事故があるとき」にあたるものと解すべきところ(なお、証人河野義克の第三五回公判調書中の供述部分によれば、国会運営の実際も、右説示とほぼ同様のものであることが窺われる)、当時事務総長室前の廊下などには、社会党議員及びその祕書、これに対抗してつめかけた自民党議員及びその秘書、さらには報道関係者、傍聴人など多数の者が充満し、同総長において議場に入場しようとすれば、これが社会党議員及び秘書などによつて妨げられるであろうことが予想される状祝にあつたのであるから、同次長がその際同総長の職務を代行しようとしたのは当然であり、その職務の執行を違法ということはできない。

また、弁護人は、同次長が議場南側東入口から入場したことをとらえて、元来事務局職員は議場北側東及び西入口から入場するという慣行、先例を無視したもので、この点においてもその職務の執行は違法である旨主張している。なるほど、先例録(二)三三五例に徴すると、国務大臣、政府委員及び事務局職員は、北側東及び西入口から入場することが一応の慣行となつていることを認めることができ、従つて、同次長が南側東入口から入場しようとしたことは、この慣行に反し、当時議場内にあつて開議を待つていた各会派、ことに社会党所属議員にとつては、予期せぬことであつたと目されること、前叙認定のとおりである。しかしながら、議院における慣行、先例は、国会法、議院規則とともに、議院の活動についてのルールとなる点において一種の拘束力を有するが、その性格は多岐多様であり、一義的に解することが困難であつて、慣習法と目すべき場合もある反面、単に事実上の慣行、あるいは道義的拘束力に止まる場合も存するものと解されるところ、右の国務大臣、政府委員、事務局職員が議場北側東及び西入口から入場するという慣行は、議員は南側東及び西入口から入場するという慣行(先例録(二)一七九例参照)と同様、結局議院運営の便宜から生じた事実上の慣行に過ぎないと解されるので、単に、この慣行を無視したことの一事をもつて、それがためにその職務の執行が直ちに違法となるものでないことはいうまでもない。

二  被告人岡に対する公訴事実三に対応する事実関係について

右公訴事実に該当する被告人岡の具体的な行為として当裁判所の認定したところは、同被告人は、前叙認定の経過によつて、本会議再開劈頭、松野議長が休憩前に引きつづいて会議を開く旨宣した直後、議席に起立して議事進行に関する発言を求めたが、これと相前後して、同議長も、教育二法案について文教委員長の中間報告を求める動議及びすべての案件に先立つてこの動議を審議する動議が提出されたので、これを議題に供する旨の発言を開始し、そのため同議長においては、発言中であるとの理由から同被告人の議事進行に関する発言は参議院規則第一二三条によつて適当な時期に許可する旨述べたのみで、同被告人の発言要求をとりあげようとしなかつたことに業をにやし、当日の参議院公報を手に持つて、議席より議長席東側に駆けあがり、右参議院公報で時折り同議長の机をたたきながら、前叙認定にかかるがごとき抗議をし、かつ、議事進行に関する発言の許可を強く求めた、ということに過ぎないものであるところ、起訴状、冒頭陳述及び論告に徴すれば、検察官は、右行為をも公務執行妨害罪にいう暴行にあたるものとして訴追したもののごとくである。

しかしながら、同被告人の右行為は、それ自体やや粗暴に過ぎたきらいも存しなくはなく、また、それが無通告の発言要求に端を発し、かつ、議長の許可なくしてみだりに議席を離れ、議長席周辺に至つたのちの行為であつて、少くも形式的には参議院規則第九一条、第九六条、第九八条、第一二三条、第二一三条などの議事規則に違背したものというほかないものであるにせよ、これが国会法第一一六条に定める警戒、制止、降壇命令、議場退去などの議長の秩序保持に関する何らかの措置の対象となり、あるいは、議院の自律権に基づく懲罰の事由となるかどうかは格別、これをしも、後記説示のごとく、公務員の身体に何らかの危険の及ぶことを感知せしめ、その行動の自由を阻害するに足る性質のものであることを要する、と解すべき、公務執行妨害罪の構成要件たる「暴行」に該当するもの、ということのできないのは、多言を費さずして明らかである。従つて、同被告人の右行為は、その外形においても、公務執行妨害罪に問擬しえないもの、というほかはないから、爾余の点についてさらに判断するまでもなく、無罪の言渡をしなければならない。

三  被告人亀田に対する公訴事実二に対応する事実関係について

右公訴事実に該当する被告人亀田の具体的な行為として当裁判所の認定したところは、同被告人は、他の社会党議員とともに北側西入口から議場内になだれ込むようにして入場したのち、折柄事務総長席で議長を補佐し、会議の事務を統理すべき事務総長の職務を代行していた河野事務次長の背後に駆け寄り、同次長の椅子をゆり動かして、同次長を事務総長席より降ろし、かつ、これにつづいて、西側大臣席附近において、左手で同次長の左胸を一回小突き、さらに、左肩を同次長の右肩に突きあて、左肘で一回小突いた、ということであり、同被告人の右行為は、全体として、その外形上、公務執行妨害罪の構成要件を充足するものというべきである。

弁護人は、その際の本会議開会の事情について、開会の振鈴後前叙認定のごとき早々の間に開会が宣せられ、議場閉鎖にまで至つたのは、社会党議員を閉め出し、その審議への参加を排して自民党単独審議を企図した同党の謀略にほかならず、従つて、同次長の職務執行は、外形上職務権限の行使であつても、実質上は正当な権限外の行為であつて違法である旨主張する(この主張は、後記四の被告人松浦に対する公訴事実一に対応する事実関係においても問題となることであるが、便宜上、ここで当裁判所の判断を示しておくことにする)。なるほど、前叙認定の事実によれば、右本会議においては、結果的に、社会党議員の審議参加の機会もしくは表決権行使の機会が失われたことは否めなく、また、これについて、同党議員のなかには、弁護人主張のごとき疑惑を持つたものの多かつたことも証拠上にわかにこれを否定することができない。しかし、当公判廷に顕われた一切の証拠を検討しても、当時議事を主宰した松野議長及びこれを補佐した同次長、あるいは政府与党である自民党などにおいて、同党の単独審議を企図しての謀略というがごとき格別の意図を有していたとまで断ずべき資料は見出しがたく、また、その間の一連の手続に、議事規則上違法とすべきものは何もないので、弁護人の右主張は採用することができない。

四  被告人松浦に対する公訴事実一に対応する事実関係について

被告人松浦の具体的な行為が、その外形において、右公訴事実掲記のとおりであること、前叙認定のごとくであり、いま、これを要約して再言すると、同被告人は、他の社会党議員とともに北側西入口から議場内になだれ込むようにして入場したのち、折柄事務総長席で議長を補佐し会議の事務を統理すべき事務総長の職務を代行していた河野事務次長のところに駆け寄り、同席前の演壇に立つて、同次長に対し前叙認定のごとき抗議を始めたところ、同次長が被告人亀田から椅子をゆり動かされて腰を浮かし、立ちあがる恰好となつたのを、被告人松浦の抗議を無視し、かえつて憤然とした色をみせたものと誤解し、事務総長席の机上にあつた書類を両手でかき廻して散乱させた、というものである。

そこで、以下、同被告人の右行為が、はたして公務執行妨害罪の構成要件を充足するものであるかについて、考察を進めてみよう。

先ず、弁護人は、同被告人が机上の書類を散乱させた際、同次長は被告人亀田のため椅子から降ろされようとして、立ちあがつていたのであるから、同被告人の右行為を認識しうる状態になく、従つて、これを公務執行妨害罪にいう暴行と目しえないのは明らかである旨主張する。しかしながら、前叙認定の事実によれば、同被告人が右行為に出でた際、同次長は椅子から腰を浮かし、立ちあがるがごとき態勢となつていた折であるとはいえ、その面前においてなされた同被告人の行為について、これを全く認識しえない状態にあつたものということはできないから、弁護人の右主張は、その前提たる事実の把握において既に失当であり、採用することができない。尤も、同次長は、被告人亀田の椅子をゆり動かして降ろすという行為によつて、一時的ではあるにせよ、事実上その職務の執行をなしえない状態に至つたものというべく、従つて、その際の被告人松浦の行為が、同次長の職務の執行にあたりなされたものといえるか、どうかは、やはり、一つの問題たるを失わないであろう。が、しかし、公務員が職務の執行中、その妨害となるべき他人の行為によつてその職務の執行を一時事実上中断せざるをえない状態に陥つても、当該公務員において職務執行の意思を放棄せず、かつ、右他人の行為が排除されれば、直ちに職務執行に復帰しうべき状況にあるときは、「職務執行にあたり」というに該当するものと解すべきである。けだし、公務員の職務執行が不当に妨害されないよう担保するためには、それが一時他人の行為によつて中断していても、その妨害が除去されれば、再び執行に至るべきものであるかぎり、これを保護する要のあることはいうまでもなく、また、かく解すればとて、これが、「職務を執行するにあたり」なる文意にそむくものともいえないからである。従つて弁護人主張のごとき観点からは、同被告人の行為につき、その構成要件該当性を否定すべきいわれはないといわなければならない。

しかるところ、飜えつて考えるに、元来、公務執行妨害罪の構成要件たる暴行は、公務員の職務執行の妨害となるべきものであることを要し(最判昭和三三年九月三〇日集一二巻一三号三一五一頁、最判昭和二五年一〇月二〇日集四巻一〇号二一一五頁、大判昭和九年四月二四日集一三巻五二二頁参照)、従つてこれが積極的な攻撃としての性質を帯びることは勿論(最判昭和二六年七月一八日集五巻八号一四九一頁参照)、公務員の身体に何らかの危険の及ぶべきことを感知せしめ、その行動の自由を阻害するに足る程度のものでなければならないと解するのが相当である。けだし、公務員が、その職務執行にあたり、身体に何らかの危険の及ぶべきことを感知する底の直接あるいは間接の攻撃を受ければ、これが回避もしくは遅疑、逡巡など、その職務遂行の意思に外部的な影響を受け、それがため、その行動の自由が阻害されて、職務執行の停滞ないし中絶を招くであろうことは当然予想されるところであり、一方、その攻撃にして、身体に何らの危険をも感知せしめず、公務員において全く意に介しないような性質のものであるかぎり、これによつて職務の適正な執行の害されるおそれはない、というべきだからである。しかし、右説示したごとき性質の有形力の行使である以上、それが一回的、瞬間的に加えられると、はたまた継続的、反覆的に行なわれるとを問わないことはいうまでもなく、むしろ、公務員の身体に対する攻撃であればその職務遂行の意思に何らかの影響を及ぼし、適正な職務執行を害するのが通常であるともいえよう。

しかるに、本件は、事務総長席の机上にあつた書類を両手でかき廻してこれを散乱させた、というものであり、直接には物に加えられた有形力の行使である。かような物に対する有形力の行使であつても、それが公務員の身体に直接感応されるがごとき態様のものであれば、結局は公務員に向けられた有形力の行使ということができ、これが講学上、いわゆる間接暴行なる概念で論ぜられていることは、いまここにあらためて指摘する要をみないであろう。しかしながら、ここで問題となるのは、帰するところ、この有形力の行使が、公務員の職務執行に対する反抗、あるいは、単なるいやがらせというに止まらず、公務員の身体に何らかの危険の及ぶべきことを感知させ、その行動の自由を阻害するに足るものであるかどうかということである。何故なら、物に対する有形力の行使が、その性質上、とりも直さず、公務員の身体に対する積極的な攻撃として目され、かつ、それがため公務員がその行動の自由をj害されるに足る程度のものでなければ、公務員に対して職務執行の妨害となるべき暴行を加えたものということはできず、そうでない場合にまで間接暴行の概念を拡張することは、およそ公務員の職務執行に対する反抗ないし侮蔑的な意思の発現であるかぎり、これを公務執行妨害罪の構成要件たる暴行として把握されるおそれなしとせず、現行法文上の文意にも反し、ひいては罪刑法定主義の要請にも悖ることとならざるをえないからである。

そこで、叙上説示したところに照らし、被告人松浦の前記行為について考えると、それが河野事務次長の面前でなされたものであるにせよ、その態様において、これが同次長の身体に対する積極的な攻撃として、同次長の職務遂行の意思に何らかの外部的な影響を及ぼし、その行動の自由を阻害して、職務の適正な執行を妨げるというがごとき性質のものでないことは既に明らかであるから、いま、にわかに、これを公務執行妨害罪の構成要件たる暴行にあたるもの、ということはできない筋合である。

従つて、同被告人の右行為については、結局、公務執行妨害罪の成立を認めることができないから、さらに爾余の点につき判断するまでもなく無罪の言渡をなすべきことになる。

五  被告人松浦に対する公訴事実三に対応する事実関係について

被告人松浦の具体的な行為が、その外形において、右公訴事実掲記のとおりであること、前叙認定のとおりである。

尤も、弁護人は、右行為の相手方である衛視長佐藤宏の職務執行について、当時本会議を主宰していた松野議長の具体的な指示、命令がなかつたことを理由に、その適法性を争つているが、その主張にして採用しえないことは、前記第一の三で説示したところに徴し、既に明らかである。

従つて、同被告人の右行為は、全体として、その外形上、公務執行妨害罪の構成要件を充足するものというべきである。

六  被告人亀田に対する公訴事実三に対応する事実関係について

被告人亀田の具体的な行為が、その外形において、右公訴事実掲記のとおりであること、前叙認定のとおりである。

しかして、弁護人は、右行為の相手方である衛視班長長島安五郎の職務行為の適法性について、前項同様の主張をしているけれども、これが採用しがたいことは、前項説示のごとくである。

従つて、同被告人の右行為は、全体として、その外形上、公務執行妨害罪の構成要件を充足するものというべきである。なお、弁護人は、当時本会議を主宰していた松野議長の議事運営上の不当を主張するが、これが直ちに右長島の職務執行の適法性に消長をきたすものでないこと、いうまでもない。

第三行為の可罰的評価

被告人亀田に対する公訴事実一ないし三及び同松浦に対する公訴事実三に対応する同被告人らの前叙各行為が、その外形において、公務執行妨害罪の構成要件を充足することは、既に説示したとおりであり、しかして、構成要件は違法、有責な行為の類型であるから、構成要件に該当する以上、同被告人らの右各行為は、形式的にに、違法性の存在を推定せしめるものであることはいうまでもない。

しかるに、他面、同被告人らの右各行為は、その参議院議員としての本来の職務たる言論活動自体もしくはいわゆる附随的行為にあたらないとはいえ、これがいわば参議院議員の院内における広義の政治活動として、前叙各認定のごとき動機、目的のもとになされたもので、もとより議員の職務と全く無関係な個人的犯罪と異なり、

この両者の相違は、犯罪成立要件もしくは量刑の面において、顕著に顕われるであろうことは、先に一言したごとくである。

ところで、行為の違法性とは、ひつきよう行為の社会的評価に関するものであつて、これを実質的にみると、その行為が法律秩序全体の精神に背馳したか否かの価値判断であり、従つて、その判断は、構成要件該当性のそれが定型的な評価であるのに対し、あくまでも具体的、非定型的であり、その本質において、元来超法規的ですらある。それ故、かように違法性を実質的に理解するかぎり、もし、行為が、健全な社会通念に照らし、法律秩序全体の精神に背かないものと評価せられるにおいては、これが形式的に構成要件を充足し、かつ、刑法が違法阻却事由として類型化した正当防衛、緊急避難などの要件を具備しない場合であつても、超法規的に行為の形式的違法の推定を覆えし、犯罪の成立を阻却するものと解すべきは、当然の事理に属し、このことは、近時、刑法第三五条にその窮極の手がかりを求めて、学説、判例上、つとに承認せられてきたところである(なお、最高裁判所の判例も、社会通念上許容される限度の行為については、実質的に、その違法性の阻却されることを否定しない趣旨と解される。昭和三一年一二月一一日判決集一〇巻一二号一六〇五頁、昭和三二年三月二八日判決集一一巻三号一二七五頁が、それである、ほかに、昭和三九年一二月三日決定集一八巻一〇号六九八頁、昭和三六年九月一四日判決集一五巻八号一三四八頁参照)。しかして、当裁判所もまた、右見解を傾聴すべきものとして、これに左袒したいと考えるものである。

尤も、この場合、超法規的違法阻却事由は、帰するところ、条理に基盤をおいて超法規的な基準によつて実質的に違法性を判断するものであつて、もとより、個々の具体的、特殊的事情に相応じて合理的に評価、決定せられるべく、刑法に一応類型化された正当防衛、緊急避難などのごとく法規に定められた形式的な要件の存在を要求するものでないにせよ、やはり、あくまでも実定的法律秩序を基礎として、そこに内在する法律の精神を探究しようというものであるから、その判断にあたつては、行為の動機、目的の正当性、手段、方法の相当性、必要性、事情の相当性、行為の法益権衡性などが充分考慮せられるべきであろう。

そこで、以下、被告人亀田、同松浦の前叙各行為について、右の観点から、実質的な違法性の存否ないしその強弱の程度を吟味してみよう。なお、ここで附言するに、同被告人らの右各行為は、既に一言したごとく、ひつきようするに、教育二法案の審議を巡り、これが通過、成立を期した自民党と、その阻止に全力を傾けた社会党の、いわゆる二大政党間の妥協のない深刻な対立のなかにあつて派生したもので、同被告人らが右各行為に出でた窮極の基盤は当時社会党の党是となつたとも目される同法案の通過、成立阻止に向けられた政治的駆引、攻防であり、具体的にも、それぞれこれが遠因となつていることは否めないところ、少数野党たる同党において、かように同法案の通過、成立を阻もうとした諸行動の政治的意義ないし当否は、多数与党たる自民党において、同法案の通過、成立をその方針としてこれに基づいて行つた強行採決その他の諸行動のそれとともに、元来当裁判所の判断の外におくべき事柄であること、ここに贅言を要しないが、他面、刑法的評価の観点からみるかぎり、同被告人らがかように、所属政党の政治目的を是とし、かつこれに沿つて行動したということ自体について、どのような意味においてでも、あえて、批難の契機を求めることの許されないであろうことは、特に指摘するまでもないところである。

一  被告人亀田の公訴事実一に対応する行為について

前叙認定したところによれば、被告人亀田において、五月三一日午後七時三五分頃、河野事務次長が南側東入口から議場に入場し、北側壇上にある事務総長席に向おうとしたのを制止する行為に出でた動機、目的は、同次長の右入場にして、これが通常慣行的に用いられている出入口からの入場でなく、そのこと自体奇異、唐突の感を与えたことに加えて、その際同次長に随伴してきた自民党秘書などの乱雑な服装や、右入口に赴く途中「ワツシヨイ、ワツシヨイ」とかけ声をかけ、かつ、同入口にまで至るや、「渡したぞ」「万才」などと喊声をあげるという傍若無人な振舞から、異常なものとして映じ、また、他方、同被告人においては、他の社会党議員と同様、教育二法案の審議を巡り自民、社会両党が厳しく対立している当時において、同次長が、議運委などの聞かれないため、通常の場合におけるがごとき円滑な議事運営こそ望むべくもないとはいえ、両党間の事実上の折衝によつて何らかの打開策が講しられる余地は勿論残されており、現にその試みもなされていなくはないのに、これをまたず、かように政府与党たる自民党秘書に擁せられて入場し、本会議の開会強行に資そうとするのは片手落でもあつて不当たるを免れず、むしろ院内の紛糾、混乱を助長せしめるものでもある、と考え、同次長に抗議し、かつ、その飜意を促そうとしたことにあつたものであり、すなわち、そのかぎりにおいては、帰するところ、同被告人ないし同被告人を含む社会党議員の立場からの議院運営の適正を期さんとしたものにほかならないから、これが、いわば政治的な意味においては、立場を異にすることによつて自ずからその評価を別にするであろうことはさておき、行為の動機、目的としては、やはりこれを健全な社会通念に背馳せず、正当なものとして是認しなければならない(なお、附言するに、昭和三六年六月三〇日付書面に基づく検察官の釈明によれば、検察官は、弁護人からの、同被告人の右行為は「議事運営委員会において各会派の意見がまとまらないまま本会議が開会されようとするのに対し、抗議し、開会を思いとどまらせるためのものであつたか」との求釈明に対して、「貴見のような事情から本会議が開会されようとするのを、実力をもつて阻止しようとしたものである」と釈明しており、叙上説示のごとく、自民、社会両党間の議事運営に関する交渉をまつことなく本会議が開会されようとしたこと自体は、これを肯定しているものと解されなくもない)。

次に、その際の同被告人自身が行なつた具体的な行為として当裁判所が確定したところは、同被告人は同次長らが一団となつて突進してくるのと遭遇し、その一団が直接同被告人の身体にぶつつかつてきたので、自己の態勢をととのえ、かつは右突進を阻止しようとして、突嗟の間に、同次長の腰のバンドを両手でつかんだ、ということに過ぎなく、該行為が同次長に対してことさら危害を加えようというがごとき性質のものでないことはもとより、それによつて事実上同次長の身体の自由を束縛したのは、他の社会党議員が寄り集つてくるまでのさして長い時間ではなく、同次長が右入場後多数の衛視によつて押し進められるがごとき形勢にあつたことをあわせかんがみれば、その手段において未だ止むをえない限度を逸脱していないものと認められる。

さらに、同被告人の右行為によつて妨害されたとせられている同次長のその際の職務の執行は、本会議開会の際、議長を補佐し、会議の事務を統理すべき事務総長の職務を行おうというものであるから、未だ現実のものとはいえず、しかもこの職務執行の根源は、帰するところ議院の権限行使にほかならないところ、同被告人の意図したところが前叙説示のとおりである以上、その目標においては、結局同次長のそれといわば同一方向を志向するものであつて、これが軽重については、にわかにその径庭を云云することはできない。尤も、公務執行妨害罪の保護法益は、公務員によつて執行される職務そのものであるが、現行法文上、実際には、職務執行中の公務員自体に対する攻撃たるの一面をも持つことも、またこれを否定しえないであろう。しかし、そうだとしても、同被告人の行為自体の内容ないしそれによつて同次長自身に与えた被害は、きわめて軽微なものであること、前叙認定のごとくである。従つて、法益の比較権衡においても、その程度を超えたものとまでは認めがたい。

しかして、叙上説示したところに徴すれば、本件において、同被告人が右行為に出でる以外にはその目的を果しうべき方法の存しなかつたことも既に明らかであり、前叙認定のごとき諸般の状況を考慮すると、この状況のもとにおいて、同被告人が右行為に出でたことは、全体として必要かつ止むをえない範囲に止まるものと認めなければならない。

してみると、同被告人の右行為については、その挙措態度にしてやや穏当を欠く嫌いはあつたにせよ、これを法秩序全体の見地より考察すれば、未だ刑罰の立ち入るべき領域にあるものということはできず、結局、実質的には何ら違法性を具有しないもの、と解するのが相当であつて、ひつきよう、本項冒頭で述べたところに該当するので、罪とならず、無罪の言渡をなすべきものである。

二  被告人亀田の公訴事実二及び同松浦の公訴事実三に対応する行為について

前叙認定したところによれば、被告人亀田、同松浦が、他の社会党議員とともに、閉鎖中の議場に北側西入口から入場し、河野事務次長あるいは警務部警務課長補佐であり衛視長の資格をも具えた佐藤先に対して、それぞれ前叙認定にかかるがごとき行為に出でた動機、目的は、その際、本会議開会の振鈴後、松野議長において開会を宣べるまでの時間が通常の場合におけるそれに比してかなり短かく、かつ、これにひきつづいて、直ちに記名投票のための議場閉鎖がなされたので、政府与党である自民党及びこれに同調していたと目される緑風会の各議員は殆んど入場し、一応会議のための定足数こそ充たしていたものの、一方、野党である社会党議員は、当時議運委などが開かれず、従つて、野党としての立場上、何時本会議が開かれるかも予知しえない状態にあつたという事情も加わつて、その大部分が右議場閉鎖に至るまでの短かい時間内に入場を果しえず、議場外に取り残され、事実上、同党議員については、その審議参加の機会もしくは表決権行使の機会が失なわれる結果となり、また、それがため、同被告人らにおいては、他の社会党議員と同様、当時の緊迫した参議院内の情勢下にあつて、閉領中の議場内で現に行なわれている議事もしくはその後の議事経過に予測しえないものがある、と感じて、強い不信感に駆られたところから(前叙認定した諸般の状況にかんがみれば、同被告人らを含む社会党議員の多くが、かように強い不信感を抱いたことは、無理からぬものがあつた、としなければならないであろう)、それぞれ閉鎖中の議場内にあえて入場し、被告人亀田においては、折柄事務総長の職務を代行していた河野事務次長に対し、元来本会議の開会に際しては、定足数の充足については勿論、各会派の出席状況にも一応意を配り、一会派のみ本会議に参加しないというがごとき異常な事態を避けるべき職責があるのに、これを怠つたものと考え、この点について抗議するとともに、事実上失なわれる結果となつた審議参加の機会もしくは表決権行使の機会の回復をうるため、とりあえず、折柄進行中の議事を一時中止せしめ、議長に休憩の進言をさせるなど事態の収拾について折衡をしようとの意図で、また、被告人松浦においては、右同様の考えから、折柄本会議の議事を主宰していた松野議長に対し、直接抗議するとともに、休憩その他の措置による議事中止を進言すべく、同議長の身辺に至つて自己に同議長の注意を惹こうとの意図で、それぞれ前叙認定の行為に出でたもので、被告人亀田の場合はもとより、被告人松浦の場合も同議長に右抗議、進言をしようとしたという点に関するかぎり、帰するところ、同被告人らないし同被告人らを含む社会党議員の立場からの議院運営の適正を期さんとしたものにほかならないから、これがいわば政治的な意味においてはその立場を異にすることによつて自ずから評価を別にするであろうことはさておき、行為の動機、目的としては、やはりこれを正当なものとして是認しなければならない(なお附言するに、検察官は、昭和三六年六月三〇日付書面に基づく釈明において、弁護人からの、同被告人らの右行為は「社会党議員が本会議場から締め出され、入場できなかつたので、そのような議事の進行を中止させるためのものであつたか」との求釈明に対し、「結果において、被告人らは本会議場から締め出され、入場できなかつたのに激昂し、議事進行を阻止しようとしたためである」と釈明しており、また論告において、「たしかに松野議長も認めるように開会宣言が通常の場合よりやや早過ぎたことは事実であるから、その開会の行為が妥当ではないとの批難を受けることはあるとしても……」「問題は、妥当性を欠く行為に対してなされる抗議手段の許容性の限界と……」、「ところで、本件の場合、一応違法ではないがやや妥当性を欠く議事進行行為があつたとみるのであれば、そのため現実には表決権等の行使の機会が失われそうになつたという事実があると考えられるのであるから、その是正を求めるため、合法手段を用いるのは議員の職務行為といえようし……」などという見解を持して、その議論を展開しており、叙上説示の議事経過にして事実上妥当性を欠く結果となつた、との想定を容れる余地の存することを肯定しているものと解されなくもない)。尤も、被告人松浦の場合、その行為は、松野議長に対する右抗議、進言の過程において派生したもので、直接には、同議長警護の目的で議長席脇にいた前記佐藤宏に対しなされたものであるが、およそ、行為とその動機、目的についての考察が不可欠なものとして要求される際には、個々的な行為とその心理をのみそれ自体として抽出し、他を捨て去ることは、本来不可能である。そして、同被告人は、松野議長に対して抗議、進言をするについて、当時の喧騒をきわめた議場内にあつて、同議長の身辺に至つてその注意を惹き、直接対話を交わして効果的に抗議、進言をするため、事実上その妨げとなつている前記佐藤宏を議長席脇から退かせ、自己と体を入れ換えようとしたに過ぎないものであるから、その意図したところにおいて、正当性を欠くものとすることのできないのは見易き道理である。

次に、その際の同被告人らの行為の具体的な態様は、前叙において詳細に認定したとおりであり、いずれも外見上有形力の施用と目すべきものであるが、その程度は、まことに軽微であつて、これが同次長もしくは右佐藤宏に対してことさら危害を加えようというがごとき性質のものでないことはもとより、同被告人らは、その間それぞれ、同次長もしくは同議長に対する抗議ないし議事中止の進言を終始つづけており、さらに、被告人松浦の場合には、これに加えて、右佐藤宏に対しても、その行為に出でる以前及び行為中、再三にわたり、「どきなさい」といつて、同人が自発的に議長席脇から離れることを口頭で促がし、同人がこれに応じないため、止むなく同人の体に手をかけて同人を引き離そうとしたものにほかならず、同被告人らの行為の契機となつた審議参加の機会もしくは表決権行使の機会が事実上失なわれている状態は現在のものであること、及び、その身体に対する侵害の度合が低いこと、をあわせかんがみれば、その手段において未だ止むをえない限度を逸脱していないものと認むべきである。なお、検察官は免責特権の保護対象としての範囲に属するか否かの問題としてではあるが妥当性を欠く行為に対する抗議、是正手段として許容されるのは、元来参議院規則、先例などによつて認められた合法的な手段のみであり、これを無視して、閉鎖中の議場に入場し、議長席、事務総長席附近に行つて抗議する程度のことは、いわば不正規な行為であるにせよ、一応容認しうるとしても、もしこれが有形力の施用を伴うような不法な手段の行使となるときは、その手段としての相当性を欠き、到底是認しえない、本件の場合にあつては、参議院規則や先例に認められた合法的な是正手段は充分残されており、この合法的是正手段が、のちに、合法的な手続によつて否定されるに至つても、それは多数決原理に立脚した民主主義をとる以上、止むをえないことである、との趣旨の主張をしている。しかしながら、本件において、同被告人らが回復をえようとしたのは、事実上失われる結果となつた審議参加の機会もしくは表決権行使の機会であり、しかも、それは元来、一時的にもせよ一旦失なわれた以上、本質的にはもはや回復の方法がないものなのである。そして、この審議参加の機会もしくは表決権行使の機会が事実上失なわれたという状態が現に継続しているかぎり、被告人亀田の場合にあつては直接これが回復をうるため、また被告人松浦の場合にあつては、これが回復をえようとの意図を果すうえに、自己の立場からすれば事実上妨害となつている前記佐藤宏を議長席脇から退けるため、(なお、その際、同被告人において、松野議長に対しては抗議、進言のための発言をつづけるのみで、同議長に危害を加えようとか、あるいは何らかの有形力を用いようとかの挙に出でたことのないことは、前叙認定のとおり)、前叙認定にかかる程度の個々の行為に出でること、すなわち、換言すれば、その程度の実力の行使はその動機、目的と対比し、なお止むをえない範囲を超えていないものと解するのが相当であるので、検察官の前掲主張にはたやすく賛成しえない。

さらに、同被告人らの行為は、いずれも、それ自体としてみるかぎり、まことに軽微なものであること、右に説示したごとくであるばかりでなく、そもそも同被告人らがかような行為に出でるに至つたのは、同被告人らを含む大多数の社会党議員が議場外に取り残されるという本会議開会に際しての不手際に端を発するものであることに思いを致し、かつ、同被告人らの行為によつてそれぞれ妨害されたとせられる河野事務次長もしくは前記佐藤宏のその際の職務執行は、根源的には、ひつきよう議院の権限行使というに帰するものであるところ(なお、右佐藤の職務執行については、それが本来議長の警察権の執行であることを想起すべきである)、同被告人らの動機、目的にして前叙説示のごときものである以上、その目標においては、結局両者同質のものであつて、いわば同一方向を志向したものと目されることを併せ考えれば、法益の比較権衡においても、未だその程度を超えたものとまでは認めがたい。

しかして、前叙認定のごとき諸般の状況を考慮すると、この状況のもとにおいて、同被告人らが、その意図したところに基づいて、それぞれ前叙認定した程度の行為に出でたことは、これを全体としてみても、なお必要かつ止むをえない範囲に止まるものと認めなければならない。

してみると、同被告人らの右各行為については、その挙措態度にして慎重を欠き、やや粗暴にわたつた嫌いの存することは否めないが、これを法秩序全体の見地より考察すれば、末だ刑罰の立ち入るべき領域にあるものということはできず、結局、実質的には何ら違法性を具有しないものと解するのが相当であつて、ひつきよう、本項冒頭で述べたところに該当するので、罪とならず、無罪の言渡をなすべきものである。

三  被告人亀田の公訴事実三に対応する行為について

前叙認定したところによれば、被告人亀田が、本会議開会中、折柄議長席にあつて議事を主宰していた松野議長のところに駆け寄り、同議長に寄添い、その机上におおいかぶさるような態勢をとつていた衛視班長長島安五郎に対し、前叙認定にかかるがごとき行為に出でた動機、目的は、これより先、同議長に代わつて本会議を主宰していた寺尾副議長に対して、社会党所属の議員森下政一から不信任決議案が提出され、その審議のため、芥川事務総長において議長の職務を代行して仮議長の選挙中、それまで事故があるとして欠席していた松野議長が突如本会議に出席し、同総長と交替して議長席についたのち、仮議長の選挙は同議長の出席によつて不要に帰したのでこれをとりやめる旨宣したうえ、右寺尾副議長不信任決議案は一事不再議の原則に照らし上程しない旨宣告した措置について、後記弁護人の主張するところと同様の理由によりこれを不相当な取扱いであると考え、また、さらにその際、これにひきつづいて社会党側から急遽提出された同議長に対する不信任決議案につき、同議長が格別これを顧慮することなく議事を進めたため、同議長のこの議事指揮も、元来同決議案のごとき会議の構成に関する議事は慣例上先議案件とされているところから、慣行を無視した不当なものとして受取り、これらについて同議長に抗議し、かつ、その措置の是正を求めようとして、議場騒然としているなかを他の社会党議員数名とともに議長席周辺に赴いたところ、同所では既に右長島安五郎など数名の衛視が同議長を取り囲むような体制をとつて佇立し、ことに、右長島は、同被告人の近付こうとする行手にあつて同議長の机におおいかぶさるような姿勢を示し、それがため、同被告人において、同議長の身辺に至つてその注意を惹き、直接対話を交わして効果的に抗議をし、かつその措置の是正を求めることができなかつたので、同被告人の側からすれば、その意図したところを果すうえに事実上妨げとなつている右長島を議長席脇から退かせ、自己と体を入れ換えて、同議長に接近しよう、というにあつたものにほかならない。

ところで、この動機、目的の正当性を考究するうえにおいては、同被告人を含む社会党議員の抗議の対象となつた同議長の寺尾副議長不信任決議案を一事不再議の原則にあたるとして上程しなかつた措置及び同議長に対する不信任決議案を直ちに先議しなかつた措置の当否が一応問題となりえようし、この点については、免責特権の保護対象としての範囲に属するか否かに関してではあるが、検察官、弁護人双方の争点の一となつている。すなわち、弁護人は、前者については、右寺尾副議長不信任決議案は同議長出席前既に議題に供され、仮議長の選挙が行なわれていたのであるから、同議長の出席によつて仮議長の選挙をとりやめることはともかく、いかに議長の職権に属することとはいえ、同決議案そのものをも廃棄することは相当でなく、また、同決議案は、一応名目的にこれと重複する五月三〇日の本会議におけるそれと提案理由を異にするものであるから(その各提案理由は、前叙において認定したとおり)、元来一事不再議の原則の適用はないのに、これが一事不再議にあたるとしたのは、明らかに当をえないし、さらに、後者については、会議の主宰者に対する不信任決議案を先議しないことは、従前の慣例に反し、当然違法のそしりを免れない、との主張をし、一方、検察官は、これに対し、前者については、もし理由さえ異なれば同一人に対する不信任決議案を同一会期中に何度でも提出できることになれば、所詮議事の正常な進行は望みえないから、一時不再議の原則の適用さるべきは当然であり、ただ、例外的に、会期がきわめて長期にわたり、かつ、信任に疑いを生ぜしめる特段の事由が発生した場合のごとき、再度の提出が認められるであろうが、これを上程して審議するか否かは専ら議長の判断に委ねられているものと解すべく、さらに後者については、同議長に対する不信任決議案は、既に他の議事に着手し、これが採決中に提出されたものであるから、いかに先議案件だからといつて、その一連の手続が終了するまでとりあげる必要のないことは明らかであるし、該手続終了後も同決議案をとりあげようとしなかつた措置の当否は、本件犯行後のことに属するから、関連がなく、議論の対象として無意味である、との主張をして、弁護人の前掲主張に反駁を加えている。

そこで、先ず、前者の寺尾副議長不信任決議案に関する措置について考えよう。元来、一事不再議の原則とは、同一会期中に既に議院の議決のあつたものと同一の問題について再び審議しえない、という原則のことをいい、ひつきよう国会の能率的な運営と議決の安定性の要請から認められるものである(なお、この原則は根本的には裁判や行政についても共通するものといえようが、国会の場合は、それが会期と結びついているところに特色がある)。従つて、明治憲法がその第三九条において「両議院ノ一ニ於テ否決シタル法律案ハ同会期中ニ再ヒ提出スルコトヲ得ス」と規定し、この原則の一半を明文で明らかにしていたのに対し、現行憲法においてはこの種の規定が存しないが、条理上当然の原則として存するものというべく、現行憲法第五九条第二項の「衆議院で可決し、参議院でこれと異つた議決をした法律案は、衆議院で出席議員の三分の二以上の多数で再び可決したときは法律となる」との規定は、特別の場合の例外を規定したものと解される。ただ、この原則が明文をもつて憲法に規定されていない点から、どの範囲までその適用を認めるべきかについては、条理上具体的な場合に相応じ、その目的、方法、手段、客観的な事情変更の有無などによつて判断すべきものと解されるが、実際問題としては、結局、国会ないし議院の自主的決定、すなわち先例、慣行の積み重ねによつて解決されるべき事柄であろう。そこで、本件についてこれをみるに、この先例、慣行の存否ないしその範囲については、本件証拠上末だこれを確かめるに由なく(なお、弁護人は、前掲主張を裏付ける先例として、第一三回国会の参議院議長佐藤尚武に対する再度にわたる不信任決議案の例をあげるが、先例、慣行上の同原則の範囲を劃するものとしては、資料不足であり、主として法律案に関してではあるが、他にも実例は多いようである)、また、一事不再議の原則にあたるか否かを決するうえにおいては、当然、問題となる議案の提案理由のほか、その目的、方法、手段、客観的な事情変更の有無など一切の状況を知らなければならないわけであるが、本件証拠によつては、末だこれが判断に熟する程度にすべての状況を明らかにするに足りないので、これら証拠上の観点からするも、同議長が一事不再議の原則を適用したことの当否は、これを相当でないと考えた同被告人を含む社会党議員の見解の当否とともに、しばらく当裁判所の判断の外におくが、前叙認定したごとく、その際の寺尾副議長不信任決議案の提案理由は、これに先立つ五月三〇日のそれと一応内容を異にするものと解されなくはなく、反面、先例、慣行としてはなお資料不足ではあろうが、前掲した第一三回国会の参議院議長佐藤尚武に対する再度にわたる不信任決議案提出の例の存すること及び官報号外の写二通(但し、昭和二七年六月二七日付及び同年七月一日付のもの)によつて窺われるその各提案理由の内容にかんがみれば、少くとも、同被告人を含む社会党議員が同議長の措置について相当でないと考えたことにも一応の合理的な理由があつたものとしなければならず、従つて、これが是正を求め、かつ抗議したということには、これを行為の動機、目的としてみるかぎり、その正当性を否定しえない筋合であろう。なお、寺尾副議長が右不信任決議案について同議長同様一事不再議の原則を適用することなく、芥川事務総長において議長席につき同決議案の審議を主宰すべき仮議長を選挙するという経過に委ねたのは、仮にこれが一事不再議の原則にあたるものとしても、問題となつているのは自己の信任に関する決議案であり、かつ、みずからこれを上程しないことを決しうるほど一事不再議の原則に触れることが明白であるとはいえないこと叙上説示したところによつて明らかであるから、まことに相当なものというべく、従つて、同議長が仮議長選挙の段階で右寺尾副議長不信任決議案を一事不再議の理由により上程しないことに決したからといつて、必ずしも同議長と寺尾副議長の同決議案に関する取扱いに前後撞着があるものとはいいきれないので、弁護人のこの点に関する主張は、既にその理由なきものといわなければならない。

そこで、進んで、後者の、松野議長に対する不信任決議案の取扱いについて考えるに、この点に関しても、先例、慣行などに照らし、その当否を論じうべきほど証拠上一切の状況が明らかであるとは認めがたく、しばらく当裁判所の判断の外におくが、反面、少くとも、検察官主張のように、既に何らかの議事に着手しておれば、先議案件であつても、その議事の終了するまでとりあげる必要がない、とまでは一概にいいきれず(例えば、何らかの議事着手後、当該議事の進行に関して信任を問われる場合のごとき)、すなわち、同被告人(及び他の社会党議員)において、同議長の右取扱いについて、抗議し、かつその是正を求むべきものと考えたことが、全く当を失するものともいえないので、これを行為の動機、目的としてみるかぎり、その正当性を否定し去るわけにはいかないであろう。

以上、これを要するに、同被告人が、前叙認定にかかるがごとき行為に出でるに際し、その動機、目的となつたところは、帰するところ、同被告人ないし同被告人を含む社会党議員の立場からの議院運営の適正を期さんしたものにほかならないから、これが正当なものとして是認さるべきは、叙上説示してきたところによつて既に明らかである。

次に、その際の同被告人の行為の具体的な態様は、前叙において詳細に認定したとおりであり、外見上一応有形力の施用と目されるが、その程度はまことに軽微であつて、これが前記長島に対してことさら危害を加えようというがごとき性質のものでないことはもとより、同被告人は、その直後、衛視長伴侃爾から口頭で制止されるや、即座にその行為を中止し、みずからその場を離れており(なお、同被告人において、同議長に危害を加えようとか、あるいは何らかの有形力を用いようとかの挙に出でたことのないことは、前叙認定のとおり)、同議長に対して、議場内の喧騒にとりまぎれ無視されることなく抗議し、かつ、その措置の是正を求める進言をしようとの意図から、事実上同議長と同被告人との間を隔て、その妨げとなつている右長島を議長席脇から引き離し、自己が同人の位置にとつてかわるための手段としては、社会通念上末だ止むをえない限度を逸脱していないものと認むべきである。

さらに、同被告人の行為は、それ自体としてみるかぎり、まことに軽微なものであること右説示のとおりであり、また、それによつて妨害されたとせられる右長島の職務執行は、本来議長の警察権の執行であつて、根源的には、ひつきよう議院の権限行使というに帰するものであるところ、同被告人の動機、目的にして前叙説示のごとくである以上、その目標においては、結局両者同質のものであつて、いおば同一方向を志向したものと目されることにかんがみれば、法益の比較権衡においても、末だその程度を超えたものとまでは認めがたい。

しかして、前叙認定にかかるその際の諸般の状況を考慮すると、この状況のもとにおいて、同被告人が右行為に出でたことは、これを全体としてみても、なお必要かつ止むをえない範囲に止まるものと認めなければならない。

してみると、同被告人の右行為については、その挙措態度にしてやや穏当を欠いた嫌いは存するにせよ、これを法秩序全体の見地より考察すれば、末だ刑罰の立ち入るべき領域にあるものということはできず、結局、実質的には何ら違法性を具有しないもの、と解するのが相当であつて、ひつきよう、本項冒頭で述べたところに該当するので、罪とならず、無罪の言渡をなすべきものである。

(結論)

叙上説示してきた理由によつて、被告人松浦に対する公訴事実二、同岡に対する公訴事実一及び二、同清沢に対する公訴事実については、当公判廷に顕われた全証拠を仔細に検討するも、これを確かめるに足らず、結局犯罪の証明が不充分なもの、被告人岡に対する公訴事実三については、その一部において証明がなく、一部は構成要件を充たさないので罪とならないもの、被告人松浦に対する公訴事実については、やはりこれが構成要件の充足を肯認しえず、罪とならないもの、被告人亀田に対する公訴事実一ないし三及び同松浦に対する公訴事実三については、法秩序全体の見地よりして、末だ刑罰の立ち入るべき領域になく、実質的な違法性を欠くもので、ひつきよう、罪とならないもの、としなければならず、以上これを要するに、被告人らに対しては、いずれも、刑事訴訟法第三三六条により無罪の言渡をなすべきこととなる。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 江崎太郎 播本格一 篠原曜彦)

別紙〈省略〉

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